前回の続き、
ひたすら印象派について書いていくだけの記事です。

興味がある方はどうぞ。

前回





そんなわけで私が最も好きなクロードモネについて書きます。


モネは「日本人に最も愛される画家」とも言われていて、これについてはなぜかは詳しくは知らないし、
「なんや人種でカテゴライズする必要あるう?どないい?」とも私は思うので、
個人的には手放しで最高!ってなるコピーではないのですが、
でもなんとなく、日本美術における繊細さや色味の淡さが、私たちに親しい気持ちにさせるのかなという
雑な考察だけ置いておきます。




これはモネが自分で自分を描いた、いわゆる自画像です。
こういう人やったらしいです。自己申告やから盛ってるかもしれへんけど許したろうな。










モネの代表的な絵画は



睡蓮



日傘をさす女性


とかでしょうか。

モネの特徴としては断続的な、叩いたような筆のタッチ(なんか名前があったと思う)と、
あとは、風景画です。

人物画ももちろんありますが、モネは屋外で景色を見ながら、太陽の変化とともに景色の光や色も変わっていく様子を描くことに、めちゃくちゃこだわっていました。





私が個人的に好きなのは


かささぎ






アルジャントゥイユのレガッタ








などです。






これはちょっと枚挙に暇がないので三枚だけにしておきますが、本当に全部、マジで全部がラブリーです。


モネが推しなら私は「推しが尊くてしんどい」状態です。


何が好きかと聞かれれば、わからないです。
色彩がかわいいし、構図もおしゃれだと思います。
本当にセンスが良いです。
モネが養成所の同期なら、こんなセンス良いやつおったらたまらんがな、と、すぐにお笑いを辞めてたと思います。



かささぎに描かれてある雪の白色が、光に包まれている部分と影になっている部分があるのとか、
木に積もった雪の質量とか、そんなんがくらくらするほど素敵に描かれていて、
その中に佇む黒いかささぎ、こんなんアイディア賞やん!?!!?!!?!センスやん?!?!!?!!?てなります。


ちなみに雪というモチーフは当時は「病める自然」としてあまり好まれたものではなかったそうなのですが、
モネが愛していたフランスのノルマンディ地方にはありとあらゆる美しい自然があり、
実際にモネはそこで風景の美しさ、それを絵画にすることに魅了されているので、
きっとこれも「何が病めるやねん!!!!おっさんらわけのわからんこと言うな!!!!!雪なんか美しいでしかないやろ!!!!描くで!!!!」と描いた感じでしょう。(知らんけど)

そういう、ちょっと前の美学にとらわれずに
自分が美しいと思ったものを信じる強さみたいなものもモネの魅力のひとつに思います。

ちなみにこの「かささぎ」もサロンドパリでしっかり落選してます。ムカつきます。



オタク全開でまた語りすぎましたので、絵についてはちょっとこの辺で。






モネは若い頃、シャルルグレールという画家の教室に出入りするのですが、そこでルノワールとバジールというのちの盟友たちと出会います。


このグレール教室の話も面白さ満天なのですが、
ちょっと割愛して、ここでモネが出会ったルノワール とバジールについて書いてみようと思います。




まずは、バジール。


モネの大親友で、めっちゃ良いやつ。(私調べ)

画家たちの中では比較的裕福な家の子だったこともあり、貧乏だったモネにアトリエを貸してあげたり、モネの絵を買ってあげて経済的に援助してあげたり、ルノワールとも一緒に住んでいたりしました。


モネとバジールは一緒に遠出して屋外で絵を描いたり、
モネがパリからは遠い町で「草上の昼食」の制作に取り掛かっていた時に、バジールにモデルしてくれとしつこく頼み(モネは基本的にしつこいところがある)
はるばるバジールが遠いところ駆けつけたら、
モネが事故ってて怪我しまくりで絵やらモデルやらどころじゃなくて、
バジールが看病しまくるはめになったりしています。
モネわけわからんすぎ。





↑バジールが何パターンもポーズとったと言われてるモネの草上の昼食のための習作。
下にいるのはクールベらしい。

ちなみにこの草上の〜は、モネがマネの「草上の昼食」を見て「なんあれ?!!?凄すぎ!!!負けられへんがな!!!」と、マネよりわざとデカいキャンパスにしたと言われてます。
(でも結局、この絵はクールベに酷評されたのでサロンドパリに出品するのはやめてます)







↑バジールが描いた病床のモネ。
構図おもろ。絶対バジールも半笑いで描いてたやんとすら思える。




ちょっとより詳しくはグーグルして頂くとして、
そもそも「サロンから独立した展覧会を開こう」というのはバジールの構想だったという説があります。

それから、バジールはたぶん社交的だったことと、
中産階級の生まれだったこともあり、グレール教室以外の色んな画家たちと出会い、親しくなり、それをモネやルノワールに紹介したりしてました。

つまりほんまに、超良いやつ。
たぶん性格とかもめっちゃ良い。おるもん、そういやつ。
私のツレでいうと、横田です。横田めっちゃええ奴やねん。



でも1870年、バジールは自ら志願して赴いた普仏戦争にて、28歳の若さで亡くなります。

「サロンから独立した展覧会」いわゆる「印象派展」が開催される4年前のことです。

モネの親友バジールは、正式に「印象派」と呼ばれることなく、この世からいなくなってしまいました。




これはバジールのアトリエをバジールが描いたものです。

このようにしてバジールのアトリエにはいつもたくさんの芸術家たちが集まってきていたといいます。

このアトリエにはルノワールが同居していて、
階段にいるのがモネ、その下からモネを見上げてるのがルノワール 。

3人でなんや喋ってるのの真ん中がマネ、右がバジール(左の人はたぶん批評家かなんかの人)で、
ピアノを弾いてるのがバジールのまた別の親友、音楽家のメートルです。

ルノワールは後に「あのアトリエで過ごした時期が最も幸福だった」と語っています。


きっと、それくらい、バジールが当時の印象派画家たちに与えたものはたくさんあったのだと想像しては、
惜しい人を亡くしたもんだよ、と、勝手にトホホとなるのです。



 

また長くなってしまった。
オタク全開で恥ずかしい。

次で最後にします。