モネの白いクレマチス。
とても好きな絵のひとつです。


ブログをこまめに読んでくださっている方にとっては
ちょっともううんざりかもしれないのですが
改めて印象派について少し書いてみようと思います。


思ったより長々と書いてしまったので、
興味のない方にはおすすめしない、ということが私からの誠意です。






私は美術が好きで(造詣が深いわけではなく、好きなだけ)
中でも19世紀の印象派と呼ばれる芸術が好きなのですが、
これまで1秒たりとて喋ったり語ったりやなんかする機会はありませんでした。



しかし、先日、映像作家である柿沼キヨシさんの「おまけの夜」(YouTubeにたくさん番組配信アーカイブがありますので是非)
に、ゲストで出演させて頂く際に、
柿沼さんに「ヒコロヒーは趣味なんなの?」と聞かれて、印象派とかが好きです、と言うと、
それいいじゃん!それにしようよ!と言ってくれ、
今まで1秒も喋る機会がなかったのに、がっつり1時間半お話させて頂きまして、


そしたら視聴者の皆さんがどんどん「おもしろい!」とか「この絵めっちゃ良い!」とか言い出してくれて
私めっちゃ、えらい、そらもう、たいそう嬉しおました。
そやねんそやねん、ええやろ?!おもろいやろ?!って感じで、たいそう嬉しおました。たいおま。


それで、SNSを通じていろいろと印象派について反応が飛んできたので、
改めて、個人的なものになりますが、私からみた印象派のことを少し書いてみようと思います。







私が美術を好むようになった事にこれといった契機はないのですが、
幼い頃から家に多種多様な画家の画集が多数あり、それをてきとうに眺めるのが好きではありました。


これは今も変わらないのですが、その頃から特にモネとセザンヌが好きでして、それは単純に絵がとても好きでした。


10代の頃、フランスへ行く機会があった際に、
初めてルーブル美術館を観て、それまで漠然と抱いていた「美術館おもんない」の概念がぶち壊され、
帰国してからは美術館、というものに抵抗感がなくなり、地方美術館によく行っていました。


それから20代になり、芸人と呼ばれる暮らしを始めてから、改めて彼らの人生背景を知ると、
なんとも自己都合に合わせた解釈をするようになり、
その浪漫にときめき、苦悩にじんときて、幸福感に焦がれ、さらにのめり込むように好きになっていきました。







さて、
印象派が何かという事についてはグーグル先生をしてもらった方が正確性に長けているとは思いますが、
軽く私の言葉で説明させて頂くならば「サロンで認められなかった若者たち」という感じです。


当時、花の都パリにおける職業画家の名誉は「サロンドパリ」という絵画の展覧会に入選する事でした。

お笑いでいうならば「M-1」「キングオブコント」「R-1ぐらんぷり」みたいな感じでしょうか、
賞レースにいかないと周囲から認められない、売れることに繋がらない、みたいなことです。


各賞レースと同じくして、サロンドパリにも審査員たちがいました。
その人たちにハマるかハマらないかで人生が大きく変わります。


時代的な背景もあり、それまでは神話や聖書などの場面を切り取った絵画こそが芸術として高尚だとされており(深く言えば筆のタッチや色使いなどの技巧面もあるのですが、そのあたりは興味があればグーグルしてください)
日常的なものを描いたものは「低俗」とされていて、
それは当時の絶対的な判断基準で、それに倣った審査員たちがサロンの入選作品を決定します。


しかし時代の移り変わりは早く、
その判断基準を絶対とするものから徐々に多様な絵画が増えていく時代を経て、
日常を、これまでの技術的ではないやり方で、作品にする若者たちの出展が増え始めます。


もちろん審査員はカッチカチなので若者たちは落選しまくるわけですが、そんなもん若者たちからしたら煮え切らず、
(この間にナポレオン3世が「審査員フシアナらしいやんけ!落としたやつの絵も良いって噂きくで!落とされた絵も一斉に見る機会つくるで!」と言い出して「落選展」があったりします)
(Gyaoで三回戦と準々決勝が配信される感じか?)
若者たちが「ほなわしら自分で展覧会やるで!」と威勢よく展覧会を開催します。


この時の若者たちというのが、ピサロ、モネ、ルノワールなどでした。

ところがこの展覧会は当時のマスコミ、新聞でどちゃみそにこきおろされます。
モネが「印象・日の出」という絵画を展示していた事をもじって、新聞紙では「印象wwwwwww 奴らはほんまに印象派やwwwww」みたいな感じで
酷評されてしまいます。

それから彼らの展覧会は「印象派展」と呼ばれるようになります。

これこそが印象派、
成り立ちとしては、賞レースに認めてもらえなかった若者たちの一発奮起みたいなことだと認識してます。






こういったあらすじも非常に浪漫的で好きなんです。

若者といっても、当時の画家たちは二十代半ば〜三十代半ばといった感じで、
青臭いだけのイキがった子どもであったわけではなく、さまざまな分別のつく大人でもあったというところがとてもミソに感じていますし、

そんな彼らが夜な夜なパリのカフェゲルボワに集まって芸術について討論しあっていたというのも素敵です。




印象派の魅力とは、もちろん素晴らしい絵画の存在なしには語れないのですが、
そういった、いつの時代も普遍的にある、
自分の才能や作るものに対する挫折や葛藤、希望と絶望、とりまく友情と恋、そして別れ、みたいなものにも私は非常に心を持っていかれます。

それが単なるヒューマンドラマなわけではなくて、
素晴らしいものを作ろうとしているがゆえに付随しているもので、
なんというか、ぬるったるくない、気合い入った雰囲気に熱を感じます。
(この辺はマジで私がそう感じてるだけ)


あと、圧倒的に、パリ。舞台がパリ。
これがパリじゃなかったらマジで話変わってくる。
パリじゃなかったら野暮い可能性大。
パリやからこそこんなにもみんなが焦がれるものがあるのだと思われます。
これ、舞台が四国なら話変わってきますから。


また、戦争という時代背景の中における創作表現への熱意だとか、
とにかく様々な要素が複合的にからみあい、スーパー巨大な魅力を作り出していると感じます。





完結に書きたかったのにオタク気質全開で長々と書いてしまいました。

いったんこれはここまでにして、続きを書きます。
興味があればどうぞ。