その誹謗中傷の記事やコメントの写真やプリントアウトをして証拠を保持し、削除依頼をして様子を見ます。
なるべく本人にはその件を目に触れないように配慮して、もし目にしてしまったら話を聞いて心の負担を減らすようにつとめます。
自分が被害者当人ではないので、我を忘れることなくその本人がどうしたいのか、落ち着いて対処する方法を一緒に考え、
落ち込んで悲しんでいたらなるべく代わりに対処できるようにまわりに相談者を探したりすると思います。
名前も顔も出さずに好き放題に書き込んで気持ちいいのか?
相手を貶める言葉で快楽を感じても心がどんどん歪んでいくけど、そのことにも気付くことができないかわいそうな人間だね。
そしてばれないと思ってなんでも書き込んでいいと思っているとても頭の悪い人間だよ。
そんなことに自分の人生の時間を費やすことがどれだけ無駄なのか、自分の大切な人が被害にあったら?それでも平気なのか大切な人がいないからこんなことができるのか。
誹謗中傷をすることで受けた人がどれほど心に傷を負うか、想像することもできない知性の欠片もない生き物だね。
実生活でのストレスをどこにも吐き出せず、その方法もわからず考えようとせずに現実でもし吐き出すなら相当な労力がいることを面倒に思い、
「ラクに」「簡単に」「いつでも」ストレス発散できるものとしてやってしまう怠惰な心理だと思います。
自分がやっているのに指先一つで正体を明かすことなく出来るのでどこか他人事のような意識でやってしまうのだと思います。
想像力の欠如、人を思いやる心のなさ、自分本位の快楽追求型なのかなと思います。
物理的に忙しくなること。ネットに滞在する時間もないほど忙しくなれば書き込めなくなる。
ネットよりも実生活に目が向けば意識が分散してわざわざ自分の人生の時間を使ってまで人を貶めようとする気持ちは目減りしていくと思います。
書き込んだ内容が誰のものなのか情報開示のプロセスがもっと簡単にわかりやすくなれば(学校の授業で当たり前に習うなど)書き込む人の意識も変わるんじゃないかと思います。
罰則軽いものからより重いものへと移行するのも一つの手段とも思います。
完全に消えないということが今の技術で本当に可能なのかと疑問に思います。
デジタルタトゥーと言われますがこれだけネット環境は進歩しているのに完全に消せないなんて、心にもずっと残る傷が目で見える形で残ることの二重の傷が、ますます精神的に心を追い詰めてしまうと思います。
傷をこれ以上広げないためにはネットを見ない、ネットから離れることをしないと自分を守れないなんて、
ここまで便利に進歩してきたインターネットが生活に根付いてしまった現代では生きていくのが窮屈になってしまったと思います。