574 藤川天神再訪 “鹿児島県薩摩川内市藤川” | ひぼろぎ逍遥

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574 藤川天神再訪 “鹿児島県薩摩川内市藤川”

20180204

太宰府地名研究会 古川 清久


 現在、一泊二日のプランで薩摩川内の藤川天神へのトレッキングを企画しています(公開時は既に実施)。

 菅原の道真公は太宰府で病死した事になっていますが、実は海路南に逃れ鹿児島県阿久根市辺りで上陸し陸路で山を越えて薩摩川内の山奥で生き延び余生を送ったという伝承があり、それを裏付ける実物が藤川天満宮という訳です。


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菅原神社(藤川天神)カーナビ検索 鹿児島県薩摩川内市東郷町藤川1767 ℡0996-42-0753


菅原神社 (薩摩川内市東郷町藤川) 菅原神社(すがわらじんじゃ)は鹿児島県薩摩川内市東郷町藤川にある神社。鎮座している地名から「藤川天神」(ふじかわてんじん)と称される。

境内には国の天然記念物である「藤川天神の臥龍梅」がある。

菅原道真を祀る。学問の神として、受験シーズンは祈願者が多い。

大宰府に左遷された菅原道真が隠棲した跡に創建されたという伝承がある。実際はこの地は太宰府天満宮の荘園「安楽寺領」で、そこに勧請された神社が発祥であるとされている。

しかし九州征伐で豊臣秀吉に焼き討ちされ、社殿・宝物など全てを失い、創建の正確な経緯は不明である。その後は薩摩藩主島津氏の庇護を受けて再興され、文化年中(19世紀初)には島津斉宣により社殿の修造が行われた。

1910年(明治43年)に藤川にある現王神社などを合祀し、菅原神社の摂末社となった。現在は菅原神社の本殿の北側に鎮座している。

ウィキペディア(20180203 09:15による


 当会には熱心な道真ウォッチャーもいることから、最低でも藤川天神を見て頂こうとの思いから企画したものです。このため、単に藤川天神への参拝などと言ったどこかにあるような郷土史会や史談会の慰安旅行にはしたくない事から、藤川天神内の道真墓地と本物の墓地の確認と併せ、薩摩川内の新田神社や可愛山稜背後地の伝ニギハヤヒの墓の探訪を行なおうと考えているところです。

 それはともかくも、藤川天神については過去数回入っており、初期の ひぼろぎ逍遥 でも取り上げています。これについては、 019 道真は薩摩川内、旧東郷町藤川で余生を送った! をお読み下さい。

 そこで、下見も兼ねて、このニギハヤヒの墓と藤川天神の道真の本物の墓所に詳しい現地の神社ウォッチャーと会う約束をして薩摩川内を目指しました。

 どのような方がおいでになるかと思っていたのですが、私より多少若い年配のアン・ルイス風の知的な女性でした。


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藤川天神には過去数回足を向けていますが、まだ梅は蕾のまま開いてはいませんでした。

 今回は落ち着いてこれまで見ていないものを見ようと思いましたが、まず、白太夫の墓をご紹介しましょう。

 参道右手にはこの白太夫なるものの墓があるのです。


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百太夫(ももだゆう、ひゃくだゆう)は、日本の民間信仰の神である。

出自は不明であるが、傀儡師(傀儡子)や遊女が信仰する神であり、特に西日本各地の神社の末社として祀られる。一般に男神とされ、多数の木像を刻んで祀る。大江匡房の『傀儡子記』に傀儡子が百神を祀るとあり、『梁塵秘抄』や匡房の『遊女記』に遊女が祀る神として百太夫の名が見える。また、道祖神や疱瘡除けの神としても信仰される。

北野天満宮の第一の末社に白太夫(しらだゆう)があるが、字が似ていることや「はくだゆう」と読むと「ひゃくだゆう」に音が似ていることから百太夫と混同されることが多い。白太夫は各地の天満宮に祀られる。一説には、菅原道真の従者であった外宮祀官・渡会春彦を祀るという。


ウィキペディア(20180204 14:00による


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当然にも道真の墓と称せられるものがあります。それが上の写真(左)なのですが、私は疑っています。

まず、参道脇の参拝者の足が入るところには墓所は造られないはずで、参道が後で造られるとしても避けて造られているはずです。これは宣伝と賽銭の騰がりと安全を企図したダミーにしか思えないのです。

そこで、以前からお聴きしていた案内者のアン・ルイス女史の説ですが、二本のオガタマとイロハモミジでしたか、古木の間に置かれた石塔こそ本来のものではないのかとの説に従うものです。

 道真は逃亡しながらも方々に子種を残しているので、道真はこの地で亡くなったとの説がないわけでもないのですが、それがこの藤川に当てはまるかと言うと、ダミーは太宰府の近辺ならば意味があるのですが、この藤川のような辺地、僻陬の地は潜行地ではあっても単なる眼晦ましではないと思うのです。

 そこで、この藤川天神から遠くない土地に、若宮神社なる小さな神社がありますのでご覧ください。

 道真公は大幡主系と言うよりヤタガラス系の武夷鳥の系統と金山彦~瀛ツヨソ足姫の系統の本家によって成立しているのです。してみると、この藤川の下流に鳥丸(薩摩川内市東郷)という地名も気になります。

 故)百嶋由一郎氏も道真公の潜行地、逃避行については、高知県の宿毛、大分市の邯鄲、大分県玖珠町の菅原…などお話になっていますが、直接藤川天神については話しておられなかったと思います。

 ただ、ご存じなかったとは考えられませんので、今後も調べたいと考えています(手書き資料に有り)。


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