561 佐賀県にもう一つの鏡山を発見した “故)吉野裕子(民俗学者)による「カガミ山」=蛇山説 | ひぼろぎ逍遥

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561 佐賀県にもう一つの鏡山を発見した “故)吉野裕子(民俗学者)による「カガミ山」=蛇山説

20180103

太宰府地名研究会 古川 清久


この間、民俗学者の故)吉野裕子による「カガミ山」=蛇山説の事例を取り上げて来ました。


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日田市の「加々鶴」地名について “「カカ」を「蛇」とする

民俗学者吉野裕子説から”

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佐賀県唐津市の鏡山はカカ(蛇)を見る山だった

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鏡神社は 何故 鏡神社なのか?"佐賀県佐賀市三瀬村の鏡神社"


詳しくはこれらをお読み頂きたいのですが、12日に佐賀県富士町の山奥の某麻酔科医の別荘地に熊本の女性と集まった帰りに、佐賀県小城市の県道332号線を通っていました。

勿論、何度となく通った道ですからこの地に神社がある事は承知していました。

ただ、参拝した事はなかったため、時間も余していた事から見せて頂くことにしました。

実は、この神社も鏡神社なのです。


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勿論、普通の鎮守さまなのですが、鏡山神社という名称が気になり周囲を見回しました。

案の定、ここでもお鏡餅山が見えたのです。


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実に立派な神社です。手入れも良く行き届いて地域の気持ちが良く見えるようでした。


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南南西の方向でしたが、神社の正面からはっきりとしたお鏡山が見えたのでした



もう亡くなられて久しいのですが、吉野裕子という民俗学者がおられました。

 その著書の一つに非常に知られた「蛇」があります。

 この論旨を我流に要約すれば、案山子(カカシ)とは田んぼの収穫を荒らすネズミや雀を追い払う蛇を擬製したものであり、「カカシ」の「カカ」が蛇の古語で「シ」は人を意味している。

 それの説明として、正月の「鏡餅」の「カガミ」も「カカ」+「ミ」(巳)であり、蛇がトグロを巻いているものを豊穣のシンボルとし、感謝を表したもの…となり、蛇の一種として「ヤマカガシ」があることも蛇が「カカ」と呼ばれていた痕跡となるのです。以下、ネット上から参考…


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日本原始の祭りは、蛇神と、これを祀る女性(蛇巫=へびふ)を中心に展開する。
1.女性蛇巫(へびふ)が神蛇と交わること
蛇に見立てられた円錐形の山の神、または蛇の形に似た樹木、蒲葵(ピロウ=ヤシ科の常緑高木)、石柱などの代用神や代用物と交合の擬(もど)きをすること。今も沖縄および南の島々に、祭祀形態として残る
2.神蛇を生むこと
蛇を捕らえてくること
3.蛇を捕らえ、飼養し、祀ること
縄文土器にはたくさんの蛇の文様が登場する。縄文人の蛇に寄せる思いは、次の2点である。これらの相乗効果をもって、蛇を祖先神にまで崇(あが)めていった。
1.その形態が男性のシンボルを連想させること
2.毒蛇・蝮(まむし)などの強烈な生命力と、その毒で敵を一撃で倒す強さ
埴輪の巫女が身につけている連続三角紋、装飾古墳の壁に描かれる連続三角紋・同心円・渦巻紋も、蛇の象徴であると推測される。
稲作の発達につれて弥生人を苦しめたのは、山野に跳梁(ちょうりょう)する野ネズミだった。ネズミの天敵は蛇である。弥生人は、ネズミをとる蛇を「田を守る神」として信仰したと思われる。
日本人は、蛇がトグロを巻いているところを円錐形の山として捉えてきた。それが円錐形の山に対する信仰につながる。三輪山はその名称がすでに神蛇のトグロの輪を意味し、神輪(みわ)山の意がこめられている。


日本の蛇信仰(吉野裕子著) - tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」
より



お分かり頂けたでしょうか? 以上、再掲。

 さて、今回は唐津市の鏡山の意味です。

福岡市周辺の方が西に向かうと必ずこの山の下を通られるので鏡山については良くご存じだと思います。

一般的には「鏡山の名前は、神功皇后が山頂に鏡を祀ったことに由来するといわれている」とか、酷い話では観光バスのガイドが言うような「鏡山は屈んでいるから低く見えるが、立ち上がったら本当は高い山なんだ…」といった話までが横行しています。


鏡山(かがみやま)は、佐賀県唐津市にある山である。標高284メートル。

鏡山の名前は、神功皇后が山頂に鏡を祀ったことに由来するといわれている。また、松浦佐用姫(まつらさよひめ)が山頂から大伴狭手彦の船を見送ったという伝説の地であり、佐用姫がそでにつけていた領巾(ひれ)を振りながら見送ったということから、領巾振山(ひれふりやま)の別名でも呼ばれる。

頂上には鏡山神社がある他、愛する人との別れで泣き続け石になった佐用姫の悲恋伝説にちなみ、恋人たちのパワースポットとして佐用姫神社が祀られている。

また、鏡山ができたとき、上を切り取って海に置いたのが高島、その上を切り取ったのが鳥島という言い伝えがある。鏡山と高島はともに台形であり、見た感じの大きさも丁度よいものである。同様に、巨人が鏡山に躓いて転んだため怒り、頂上部を殴り飛ばしたことで高島などが出来たという。


一例ですが、HP風水パワースポット検索 から


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「佐賀県神社誌」173pによれば、主祭神は藤原廣嗣

境内神社 大神宮   祭神 天照皇大神

     道祖神社  祭神 猿田彦命      


敗残した九州王朝との関係も考えられる藤原廣嗣が祀られている事には興味を引きますが、今のところこれ以上は辿れません。

道祖神社 祭神 猿田彦命 も良く分かるのですが、この土地自体が南に張り出した岬状の土地でありこの古代の有明海の湾奥の汀線と思えるところに重要な県道が通っている事からそれなりに思えます。

この鏡山神社の信仰が神体山たる二子山だった時代があった事は確実なようです。

しかし、それは稲作が持ち込まれて以降のかなり長い時代の話であって…と言うのは、鏡=カカ+巳(ミ)たる蛇が稲作による富の蓄積の象徴たる穀物を食い散らす鼠の天敵を崇めたのはやはり弥生期の事だと考えられるのです。

ただし、我々の時代まで通説の弥生時代とは紀元前35世紀とされていたのですが、こっそりと500700年が遡り修整され(照葉樹林文化論者が主張した縄文稲作論が正しかった)紀元前1000年=およそ3000年前まで遡る概念であって、その呼称が現代にまで伝えられ鏡神社(鏡山神社)とされている事には感動すら覚えるのです。

しかし、藤原廣嗣祭祀に関する背景については探る由もありません。なお、注意しておくべきですが、現地では神社の向かいではなく裏山を鏡山と呼んでいるのです。いつしか伝承が途絶えているのです。


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これで、大分県日田市の「加々鶴」、佐賀県唐津市の鏡山(これは浮嶽をカカに見立ててカカの見える神社、山としたものかも知れません)、それに佐賀県佐賀市(旧三瀬村)の鏡神社に続く4例目を発見した事になります。

九州だけでも鏡神社、鏡山はまだまだたくさんあります。

全てがそうだとは思いませんが、今後とも探査は続きます。

最後に、上の地図で、牛尾神社と西川をマーキングしています。

これも宮崎県日南市の潮嶽神社(阿蘇高森の草部吉見=ヒコヤイミミ)と関係がありますので、関心をお持ちの方は次のブログをお読み下さい。

そして、この牛尾神社(宮崎県日南市北郷町北河内8901-1)+西川(現地音はどうであれサイ川と読め)という複合は、人吉盆地の奥地にも認められるのです。


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日南市の潮嶽神社は阿蘇高森の草部吉見=ヒコヤイミミ=武甕槌=春日大神…と認められます。

 しかし、熊本県の人吉盆地の最奥部の潮神社、塞神社は男女が逆転しているようです。

 つまり、ヒコヤイミミとそのお妃の一人である市杵島姫(別名佐用姫、佐代姫)の佐用、佐代が「西」、「佐井」「塞」とされているのだと考えているのです(恐らく大分市の大在、小在も)。

 これが、遠賀川の西を北流する西川であり、塞神社と考えているのです。牛尾が潮の置換えであることは言うまでもありません。


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