上の記事の続きを。
●火種
母が不機嫌になると、私は恐怖感を覚える。
(躾の際にげんこつや平手打ちをされていたからか。)
↓
恐怖を感じたくないので、母を不機嫌にしたくない。
↓
母に従っていれば、母は不機嫌にならないはず。
↓
母にお伺いする。従う。
母に丸投げする。自分でやることを放棄する。
●不機嫌になることについて
世の中の人は全員、その人個人の主観で行動している。
→(自分の子どもを含む)他人と自分で考えが違うことは、当たり前のこと。
→自分の考えと異なる考えを他人から言われた時に不機嫌になるのは、上記のことが当たり前だと思えていないということ。「違う」ということを想定できていないということ。
→異なる考えを持っている可能性を想定できていないから、他人の考えを聞くこともなく、自分の意見を主張する、かつ他人が自分と異なる考えを言うと想定外のため不機嫌になる。
最初から、
相手が自分と異なる考えを持つことを想定しており、
相手の考えに興味を持とうとしており、
相手の考えを尋ね、それを加味してその後の自分の行動を決める姿勢でいれば、
相手が自分と異なる考えを話しても不機嫌にはならない。
●母=他人は能力があるが、自分は無能で劣っているという認識について
自分が子どもの頃は、大人である母親の方が自分より何でもできるのは当たり前。
子どもの頃の記憶や経験を元に母と比較して、「自分は無能で劣っている」と思う必要はない。
一方で、現在の自分の処理能力は、母も含めた自分の知っている人と比較すると低い。
目指すべきは有能になることではなく、自分の能力がどれほど低いのかを把握して、脳内の自分と現実の自分の差を無くし、現実の自分に合った選択ができるようになること。
●母にやってもらうのが最も問題が起きないという認識について
母が関わる事柄で、私自身にこだわりのないことであれば、母の好きなようにやってもらえば良い。
「母にやってもらうのが、私が我慢するという問題を除けば、最も問題が起きない」と想定されるのであれば、自分が我慢することの無いよう策を打つ必要がある。
我慢してやっても、周りから見ると、やりたくてやっているようにしか見えない。
●無能で劣っているのはダメという認識について
ダメ…よくない状態にあること。
●無能で劣っているのは恥ずかしいという認識について
できないことができないのは
「知らない」「わからない」「覚えてない」「慣れてない」のどれか。
(枠内は引用)
●無能で劣っているのは迷惑という認識
無能で劣っている自覚がないから、迷惑だというだけ。
無能で劣っている=迷惑、というわけではない。
自覚がないと、自分の能力や特性に合った選択ができなくて、誤り、失敗、訂正、遅延などが増えるから、他人に迷惑をかける。
●無能なのに自力で何かすると、他人を不機嫌にする、迷惑になる、嫌われるという認識について。
能力の低い人や他人に迷惑をかける人が、他の人の機嫌を損ねやすかったり避けられやすかったり(嫌われやすかったり)するのは当然。
ただし、他人の機嫌や好き嫌いは他人のもの。自分にはコントロールできないもの。
また、目の前の人が傾向どおりの反応を示すとは限らない。
●失敗はダメなこと、失敗はしてはいけないこと、という認識について
誰でも失敗する。
ダメ=よくないものでもないし、してはいけないことでもない。
「やればできる」と
「やりたいことをやる」と
「自分のペースでやる」と
「自分の意見を持っていい」と
「誰でも失敗する」と
「できないことは誰にでもある」と
「好かれないこともあるのが普通」と
「嫌われるのも、嫌うのも、普通」と
「好きじゃない人と無理に一緒にいなくていい」と
「気が合わない場所からは離れていい」と
「この世界には無限の生き方がある」と
「この世界には正解なの人の数だけある」
枠内は引用
●「無能で劣っていて失敗というダメなことばかりする人間=自分は、恥ずかしい存在で迷惑で価値もない。嫌われる。」という認識について
無能で →その通り。
劣っていて →比較対象に依るが、少なくとも今の環境では、自分は周囲の人より劣っている。
失敗というダメなこと →失敗はダメではない。
ばかり →失敗することも成功することもある。ばかり、ではない。
する人間=自分は、
恥ずかしい存在で →無能故、他人が眉をひそめるような言動をする可能性は高いが、それと存在価値は関係ない。
迷惑で →自分のレベルの低さを掴めていないから、他人に迷惑をかけがち。
価値もない。 →無能故の諸々と存在価値は関係ない。
嫌われる。 →上記のこと故、嫌われやすい傾向はある。傾向があることと、目の前の人に嫌われるかどうかは別問題。
●「自分では何もしない方が良い」という考えについて
できる自分でないと存在してはいけないという思い込みがある。
この思い込みのもと、できない自分を隠そうとして(隠せていないけど)、できる自分を装おうとしている(装えていないけど)。
できる自分を装う方法のうち、最も手軽で効果があるのは、「何もしない」という方法なので、「自分では何もしない方が良い」という考えになる。
できる自分でないと存在してはいけないという思い込み
↑
できる自分でないと親の期待に答えられなさそうで、もし期待に答えられないと親が不機嫌になるかもしれない、という思い込みor何かの過去に由来するものがある。
親の不機嫌によって恐怖を感じる。
恐怖を感じたくないから、できていなくてもできる自分を装う(=知っているふりをしたり、自分では何もしなかったり)
親に対して無意識にしている「装うこと」を、他人にもする。
装ったところでそんなものはバレているけれど「できない自分がバレたらどうしよう」という不安や、「装うこと」による疲労で、他人との関わりを避けたくなったり、他人に対して一人芝居で怯えていたりする。
自力でいろいろ書いてみたけど、これだった。