『優しい人との対話』 | 日比野真琴のブログ

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ブログというよりコラムに近いです

日々の生活で感じることや

自分自身に言い聞かせたいことを綴ります


賛否両論あるだろうと思いますが

あなたの心に

何か残せたり感じさせることを書ければいいなと思っています

『優しい人との対話』




人見知りって

きっと言い訳じゃない気がする




人見知りの人とは

なかなか会話が続かないかもしれない




だから人見知りの人は

よく苦手意識を持たれてしまいがち





人見知り

ということを深く考えてみる





人見知りをするってのは

相手から 自分がどう思われているのかを

めっちゃ気にしている

と いうことなのかもしれない

 


相手に映っている自分の印象を

考えすぎて 臆病になって

そのせいで 相手とうまく喋られなくなって

本当の自分を出せずにいること




それは単純に考えると

自己愛が強いだけ と取れるかもしれませんが

もっと深く考えて裏を返せば

めっちゃ優しいってことなんじゃないかなぁ

と 思っているんです




相手を不快にさせていないかなぁ…


どんな言葉を言えば気分を害さないかなぁ…


もし自分の発言のせいで

相手の気を悪くさせてしまったらどうしよう…


そんな心配の気持ちから

派生しているような感じがするんです




たとえば初対面の人と

知り合ってから まぁまぁの序盤に

「わたし 人見知りなんです・・」と

まるで自分との会話を拒絶しているかのような

そんな防御線とも取れる発言だって

何故 いきなりそんなことを言ってくるのか?

と ちゃんと紐解いて考えてみると




「あなたのことは嫌いじゃないんです


ただ 私はコミュニケーション能力が

他の人よりも低いだけなんです


もし 無言のときがあったとしても

あなたが不快にならない言葉を

頭の中で ずっと考えているだけなんです


だから あなたのことを嫌っているだなんて

どうか勘違いしないでください


本当の気持ちは

あなたと仲良くなりたいのです


ですが それを伝えるのが

どうも苦手で なかなかうまくいかなくて


だから 勘違いされないように

こうやって最初から言っておきます


私の人見知りな性格せいで

どうか不快な気持ちにならないでください

よろしくお願いします」


と 言っているようにも取れる気がする




まぁ めちゃくちゃ

ポジティブな捉え方したらやけど 笑




「人見知り」と「人間嫌い」は

まったく違うものだな と考えていて

もし人間のことが嫌いというのならば

きっと他人と接することを

極力 避けた生き方や生活を選ぶと思う




だけど

人見知りの人は そうじゃない




ほんまは他人とめっちゃ接したいし

かなり気も使える性格でもあるんやけど

ただ その表現や伝え方が下手で

ちょっと不器用なだけなんやろなぁと思う




僕も少し似ている部分があって

伝えたい気持ちが相手にうまく伝わらなくて

相手に勘違いされてしまって

そんな不甲斐ない自分自身が嫌になったり

そういうジレンマに似た気持ちが

どことなくやけど わかる気がするんです




だから 初対面のときに

この人 きっと人見知りなんやろなぁ

と感じたときには

僕に慣れてくれるまでは

相手のペースに合わせてあげるのです




無言でも全く気になってないで

無理に考えて言葉をひねり出さんでもいいで

だから なんも心配せんでええよ

っていう相手が緊張しないような

相手の居心地が良くなれる

そんな場の空気を作ってあげるのだ




そして 人見知りの相手でも

頭を難しくして考えなくても答えやすそうな

そんな軽い話題から

ゆったりとした口調で持ちかけてみる




そうやって少しずつ

緊張で こわばった心をほぐして

相手が話しやすくなってくれればいい




人見知りの人なりの

僕たちを不快に思わせたくないための

優しさゆえの人見知りなんだもの




ゆっくりと

相手のペースを探りながら

相手の歩幅に合わせてあげよう




安心を与えてあげよう




言葉と言葉を交換するだけの会話じゃなくて

たとえ無言だとしても

優しい気持ちを交換し合える

そんな無言の対話であってもいいなと思う




それが

僕なりの優しさの返し方だ




人見知り  =  優しい人




僕は そう受け取ろうと思う




優しい人には

それ以上の優しさを持って

接してあげたいのだ