4歳からピアノを始め、習っていた先生は厳しい先生ばかりだった。
小学生低学年の頃は、学校から帰るとピアノの先生が家に来ているはずなので、なるべく帰宅を遅らせるため、家まであと30M程のところから、どうにか1時間ぐらいかけて帰ろう、とチビチビ歩いてみたりした。

ハノンのスケールを暗譜して全ての調を弾く、というレッスンがあり、躓くと泣くほど怒られた。
後から聞いた話では、レッスンが厳し過ぎるのではないかと心配した母親が父親に相談したところ、「泣くほど熱心に教えてくれる人もいないのではないか」と父親が言い、もうしばらくお願いする事にした、とのこと。
結局、数年後にその先生から離れる事になった時、先生は泣いていらしたらしい。
きっと一生懸命教えて下さっていたのだと思う。
音大受験で苦労しないように、など、色々な事を考えて下さっていたのだと思う。
あの特訓のお陰で調性などの基礎が身に付き、あの頃の事を振り返って感謝する事は多い。

次の先生のレッスンでは、バッハを弾く時に全ての声部を弾きながら真ん中の声部を声に出して歌う、という事が行われ、これまた厳しいレッスンだった。

「今の先生は??」
と、先日友人に聞かれた。笑
今の師匠(大野眞嗣先生)も、厳しい。
響きにはとくに厳しい。
「なんでエリカに厳しいんだろう??」と師匠ご自身が仰っていた事もある。
その厳しさは、師匠がある一定以上の、響きのレベルを掲げていて、そこに到達しない響きには妥協をしない、というところから来ているものだと思われる。
妥協して、「響きはさておき…」というレッスンは有り得ない。
そんなところに降りてきてはくれない。
ある一定の響きのレベル、その高みを目指して登っていくしかない。

そうしてようやくそこに到達出来た時、それまで知っていたつもりの音楽とは違う、頭で考えていたものとも違う、その作品、その音楽の本質を知る事が出来る。
それこそが私が求めている事なので、厳しいレッスンでも不思議と「厳しい」とは思わない。

小さい頃からの厳しいレッスンも、全て、私の土台として今のレッスンに繋がっている。
一生懸命教えて下さったこれまでの全ての先生に、感謝。
そして今、決して妥協せず、音楽の本質に届く響きを追求するという、質の高いレッスンをして下さる師匠大野先生にも、感謝。

1時間かけてチビチビ歩いて帰っていた頃の私には、全く想像も出来ないほど、遠く素晴らしい世界。
果てしないその世界を少しでも垣間見る事が出来て、今は不思議と「自分が自分に一番厳しくなければ」と、思う。
素晴らしい世界を知り、幸せを感じ、作品の偉大さを知れば知るほど。
まだ遠い、まだ届かない、と、日々響きを追い求める。


*写真は下から見上げた紫陽花。