昨晩のこと。
同門のある方が師匠のお宅にレッスンを受けにいらした時、居合わせた私はそのレッスンを聴講させて頂いた。

レッスン後、「聴かせて頂いて有り難うございました」と御礼を言うと、その方は「今日はちょっと…」と調子が悪いような事を仰っていたけれど、そういう事は別として、そのレッスンが始まった瞬間から、空間に何というか特別な空気が漂っているのが感じられた。

私事だけれど、このところ仕事が忙しく、最近は朝も1時間早く出社している。
そうして仕事に追われているからなのか、昨晩仕事後に聴講したレッスンの、「作曲家が思い描いたであろう響きと音楽を追求する」ための時間は、日常から離れた異空間に感じられた。
受講されている方の作曲家への思いや作品に寄り添う姿勢が、そう思わせたのかもしれない。

仕事をした後に居合わせた、同じ都会の真ん中で繰り広げられる尊い異空間。
それはある視点から見ると、研究室で研究を重ねている博士達のように見え、或いは貴族が集まるサロンで美味しいお茶か珈琲と濃厚なチョコレートケーキを頂いているような贅沢な時間にも感じられた。

異空間…芸術を究める事はある意味社会の異空間であるかもしれない。
人(作曲家)の思いを想像し、寄り添い、追求する事。
そんな事より世の中にはもっと優先される事が沢山ある。悲しい事だけれど。
そういう世の中で、生活の中に異空間を持たず、仕事に追われ日々をこなして生きている方も多いだろうけれど、その方達がふと立ち止まり途方に暮れるような時、彼等の魂を救うのは、異空間で磨き抜かれた芸術だろう。

昨日は受講している方がピアノを弾くその足下に、シャンプーハットのような物を付けた猫(←目元の炎症を掻かないようにするため)がいて、更に何故か、普段レッスン室の書棚の上にあるはずの犬のぬいぐるみ2匹が、グランドピアノの譜面台の左右に1匹ずつ配置されていて、それらがより一層、その異空間を異空間たらしめていた。

犬のぬいぐるみが何故そこに置かれていたかは、なかなか奥が深いのでまた後日。