素晴らしい演奏、素敵な演奏に心を奪われた時、その薫るように鮮やかな残像にしばらく酔いしれ、余韻に浸る。

「余韻」という言葉の意味を調べてみると、「音源が発音を停止した後も音が響いて聴こえる現象。」(Wikipedia)、また、「物事が終わった後まで残る感覚や風情。」という意味もある。

先に書かれている方は、演奏で言うところの残響の事でもあるけれど、では残響のほとんど無い場所で演奏する場合、余韻を作り出すにはどうすれば良いのか。
"響きそのものの倍音を豊かにする"
そうすることで、残響の少ない場所でも音がたっぷりと響く。

逆に残響が多い会場で、倍音の無い裸の音で演奏したり、倍音があってもそれをコントロールせずに演奏してしまうと、まるでお風呂場の中で演奏しているかのように響きはぶつかり合い、濁った状態になる。
そうすると、「ペダルが下手」、と言われたりする。
楽譜を睨み、必死にペダルの踏み替え箇所を考えあぐねる。
(ペダルについては、このブログの<耳で踏む 2015/04/06>に書いています。)

倍音がコントロールできるようになれば、多少ペダルを踏みっぱなしでも、響き同士が濁る事はない。
響きと響きは筋となり、お互いにぶつかり合わないルートで飛んで行く。
更に倍音の微妙なコントロールで、響きと響きを淡く混ぜたり、ある響きだけを際立たせたり出来るようになる。

ここまで出来ると、その演奏には「余韻」の後の方の意味、「演奏が終わった後まで残る感覚や風情」が生まれる。
聴く人が「余韻」に浸れる音楽。
それはコントロールされた倍音が創り出す鮮やかな残像。