皆さん、おはようございます

臨床心理士ひびきAiちゃんねるのAiです

いつもありがとうございます。

 

さて

今日のテーマ

「人を愛する」ということ

 

それは

どういうことなのでしょうか

 

 

私が考える

 

「人を愛する」

 

というのは

 

「自己犠牲」でなく

 

「押しつけ」でもなく

 

「ただ注ぎ続ける」でもなく

 

 

 

「自分」を正しく理解し

 

 

「自分を愛する」

「自分のすべてを許す」

「自分のすべてを受け入れる」

「自分が自分を満たす」

 

ことが

 

できて初めて

 

向き合えるステージだと思うのです

 

 

 

「自分」と向き合う

 

というテーマが

 

クリアできていない場合

 

 

 

「二人で前に進む」

 

ということが

 

難しくなると思うのです

 

 

たとえ

 

しばらくの間

 

上手くいっていると思えても

 

 

人生の展開が

 

遅くなったり

 

次第に進まなくなってくるように思います

 

 

 

 

グラスと水で例えると

 

自分で自分のグラスを

 

満たす水を準備できるようになると

 

 

つまり

 

自分が源泉となることができるようになると

 

という感じです

 

 

自分のクラスが水でいっぱいになって

 

さらに

 

溢れ出る水を

 

誰かに注ぐことができるようになる

 

 

この時点が

「愛する」

ことの出発点であるように思います

 

 

もしも、その出発点に到達すらしていない状況、

 

つまり

 

自分で自分を満たせないのに

 

その「水」を

 

人に分け与えようとすると

 

 

自分は

 

「水がなくなる怖れ」

 

が生じたり

 

もしくは枯渇して

 

乾くわけですから

 

またそれを

 

誰かに満たしてもらおうとしてしまうのです

 

 

この時点で

 

まず

 

自分自身がきつくなってくるでしょう

 

 

なので

 

歪ができて

 

 

自分のできること以上のことを

 

しようとすると

 

自分を苦しめる結果になります

 

 

こんな状態は

 

健康的でないし

 

長くは続かないですよね

 

 

でも

 

自己発電、自己供給

 

ができるようになって

 

 

それを注ぐ相手

 

注ぎたい相手

 

それを喜んでくれそうな相手を

 

見つけたなら

 

 

相手がそれを

 

もしも

 

「要らない」

 

とか

 

「こんなもの必要ない」

 

と言って

 

そこに価値を見出さなくても

 

たとえ

 

受け取らなくても

 

 

自分が水に価値を置く限り

 

 

自分のなかの

 

水は減らないし

 

揺さぶられることもない

 

 

そして

 

ただそれを

 

本当に喜んでくれる人と

 

 

その水に価値を置く人と

 

一緒にいれば良いわけです

 

 

 

それが

 

あなたの人生を

 

最大限に

 

前にと

 

進ませてくれる人だと思います

 

 

いろいろな場合があると思いますが

 

自分を満たす「水」が

 

 

相手は

 

「オレンジジュースじゃないと嫌だ」

「ビールで満たされたい」

 

というように

 

「水で満たされたいなんて思ってない」

 

と言って

 

相手にとっては

 

「満たすもの」

 

でないかもしれません

 

 

それならば

 

それはただ

 

「良い相性ではない」

 

のかもしれませんね

 

 

パートナーシップに限らず

 

世の中には

 

あなたにぴったりの

 

「愛の循環」

 

ができる人は

 

必ず存在します

 

 

そういう人と出会った場合

 

きっとあなたは

 

理由のない

 

言葉では説明のつかない

 

心地よさを感じると思います

 

 

そういう人と

 

たくさん出会っていきましょう

 

 

世界には80億の人たちがいるのですから!

 

iD

 

 

皆さんの幸せを

 

心から応援しています