皆さん、こんにちは。

臨床心理士のAiです。

 

いつもありがとうございます。

 

実は、学校現場では

文科省の定義する「いじめ」は

日常的に起こっています。

 

が。。

 

それが

即、いじめ防止対策推進法に則って

解決できるかというと。。

 

なかなかそうも行かない現実があります。

 

例えば、

アンケートなどで

ある児童生徒が、そういった

いじめと思われる行為をうけたことが分かっても

 

個別に被害児童生徒に事実を確認して

その内容を保護者に伝えて。。

 

その先の解決方法を提示・提案したとしても

 

「相手(加害児童生徒)には言わないで下さい」

「これからも、我慢すれば良いので」

「まだ我慢できる範囲ですから」

 

そういった回答が返ってくることが

結構あるんです。

 

これは、保護者の意見もそうだったりします。

 

 

理不尽な行為を受けてなお、

相手にもの申せないという

 

この全体の風潮。。

 

そして

固定された力動関係

 

ある意味日本という島国特有の

また、古来からの村社会特有の

パーソナリティなのかも知れませんが

 

おかしなことに対しては

「おかしいよ!」

ということが

なかなか出来ないことが多いように思います。

 

 

国語・算数・理科・・・と同じような並びで

心の在り方、心の整え方、生き方、考え方、また

自分とは何か、自分を好きになる、自分を大切にするというのはどういうことなのか

また、他者との適切な関わり方、他者に対するの思いやりとは、

などの授業もあって良いのではないかと思っているところです。

 

道徳の授業などでは、

「正解のない解釈」

「みんな違ってみんないい」

「相手を認めよう」

「そっと示す思いやり」

といった視点は持つことが出来ると思いますが

 

現実世界を

「投影」

しながら生きている我々のこと、

つまり

「良い」「悪い」

という価値判断の上に

その人の過去の経験による「好き・快」「嫌・不快」

という2重のフィルターを通して

現実を見ている

「自分」というものを

しっかり受容することが

まず先なんだよ、

 

ということや心の仕組みをもっと知って欲しいと思います。

 

それが分からないから、

自分の幸せを

いじめや仲間はずれといった、

人を踏み台にすることでしか

感じることが出来なかったり

する人が存在するわけなんですよね。

 

皆にとって、

「自分のしたいことや実際していることが、

自分のためにも、周りの人のためにもなる」

という健全な欲求を持てる

社会であって欲しいと願っています。

 

 

 

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それでは皆さん、どうぞ今日も良い一日をお過ごし下さいね。