剣術の改革の為に柳生宗矩が出した答えが、
「剣禅一致」
「治国平天下の剣」
であった。
剣禅一致とは「剣術と禅の修行は同じことである。」
治国平天下の剣とは「天下を治めるべき身が習うべき剣」
と、言う意味で御座いましょうか。
つまり宗矩は、
「剣術で得た知識・技術は他の物にも応用できる!」
と、説いた訳で御座います。
柳生宗矩の剣士としての伝説が少ないのも、政治家としての活躍が著しいのも、
実は全てこの思想を体現する為だったので御座いますな。
宗矩は「剣術は単なる殺人術では無いのだ!」
という思想を持っており、故に剣術を殺人に用いる事を己に禁じていた、のではないかと思います。
恐らく剣を振るった事はあるでしょうが、
この思想の為に宗矩は己の武功を隠し、
ひたすらに政治家としての功績を積み上げたわけでありますな。
自分が政治面で活躍する度に、
「これは新陰流の奥義を応用したまででございます。」
と言いふらし、それによって自分の思想に説得力を持たせたのでありましょう。
ちなみに恐らく剣術をやってもそういった能力を得られるかは人によるでしょう。(何故なら他の剣客にそういった話が無いから)
ですが、いやだからこそ宗矩は「剣術を変えられるのは俺しかいない!」と思ったのかもしれません。
更になんと彼は、友人の禅僧・沢庵和尚の力を借りて、
何とこの思想を体系化してしまうので御座います。
それが「兵法家伝書」で御座います。
彼はこの本の中で父・石舟斎の教えの後に自分の思想を記しています。
一番有名なのが殺人剣・活人剣の教えでありましょう。
本来、剣術において殺人剣とは「敵に先んじて剣を撃つ」活人剣とは「敵の攻撃をいなして剣を撃つ」
といった内容だったらしいのですが、
宗矩は「武とは人を殺めるものであり、悪である(殺人剣)。しかし、武を以って悪を討つ。これは正義である(活人剣)」としておるそうな。(まあ正確には違うらしいのですが、それはこの本を読んでみてくだされ・・・)
こうして宗矩は、剣術の内容を改変していった訳で御座います。
宗矩が記した兵法家伝書は、様々な点で画期的なもので御座いました。
まず元来口伝が主であった剣術の技法・思想を初めて理論化・明文化した事。
宗矩が敢えてこの様な形を取ったのは、己の思想を広く伝える為であったのでありましょう。
更に剣術を通じて己の肉体・精神を鍛えるという思想を打ち立てた書物でもありました。
これにより宗矩は剣術を単なる殺人術から、
修行する事で様々な能力を開花させる。
修行によって侍としての心構えを身に着けられる。
という全く別次元の存在へと昇華させることに成功しました。
そしてこの教えを、
三代目将軍・徳川家光に教え込み、遂には家光自身がこの教えを信じるようになり、
それによって日本全国にこの思想が広まっていったわけで御座います。
宗矩の教えの波紋はこれに限りませんでした。
「武術の修行は、単なる殺人術の伝授では無い!」
という思想はやがて様々な武術が取るようになり、
それはやがて武道と呼ばれるものとなりました。
更に「悪を討つのが武」という教えによって、
単なる殺人者である武士が、何故世の中に必要とされるのか?という問題の答えが生まれ、
為政者たる武士、という武士像がここに誕生した訳で御座います。
そして宗矩が望んだ、剣術の姿が今、剣道となって残っている、というワケで御座います。