日々是学ぶ! -6ページ目

日々是学ぶ!

歴史は糸玉のようなもの、とわたくしめは思っております。
歴史はありとあらゆる出来事が絡まって出来上がる物でどの糸を辿るかで糸玉の色は様々に変化致します。
わたくし大宅世学、未だ未熟者ながら皆様と歴史を観測し語り合いたく存じます。

柳生新陰流の達人にその死を予感されてしまった板倉重昌でありましたが、

不幸にもその予感が的中してしまいました。

一揆勢が天草四郎時貞を中心に団結しているのに比べ、

板倉重昌を軽んずる九州大名によって幕府軍は統制が取れず、

原城の頑強さも伴い攻撃はことごとく失敗しました。

幕府はこの事態を受け止め徳川家光の懐刀、

松平伊豆守信綱を増援として送り込むことを決定したので御座います。

そしてこの報せを聞いた重昌は、

「増援が到着するまでに一揆を鎮圧せねば!」

無謀な総攻撃を仕掛け、

一揆軍の銃弾に斃れてしまったので御座います。

さて到着した信綱、彼はその明晰な頭脳より「知恵伊豆(知恵出ず処)」とあだ名された知恵者であり、

まず幕府軍の統制を一本化し、

更に甲賀忍者を原城内に潜入させ、兵糧が少ないという情報を掴むと

兵糧攻めを選択したので御座います。

更に彼は思い切った手段に出ます。

オランダ商館長クーケバッケルに依頼し、

軍艦二隻による艦砲射撃を行わせたので御座います。

内乱の鎮圧に外国の力を借りる、という姿に批判が殺到しますが、

松平信綱の狙いは原城への物理的なダメージではありませんでした。

実は信綱は一揆勢が

「キリスト教国による救援を期待している」

のではないかと読んでいたので御座います。

まず何故この様な大規模な内乱を一揆勢が起こせたのか?

島原・天草がキリスト教の信仰地であったことは触れましたが、

実はここは奴隷の売買地であったという暗い噂があったのそうです。

当時キリスト宣教師が人身売買を行っていた事は知られていたので、

こうした噂にも信憑性があったでありますな。

更にこの一揆勢には前大戦で敗北した大坂方の浪人が加わっており、

これらと島原・キリスト教の黒い繋がりを合わせると

「一揆勢はキリスト教徒の反乱という事で、キリスト教国の介入を期待しているのではないか?」

という予想がたった訳で御座います。

キリスト教国の救援が来れば、日本国内の10万近いとされるキリシタンが一斉蜂起する可能性があり、

となればこの島原の乱は単なる一揆ではなく、

外国による侵略の鏑矢となる内乱

という事になるのです。

この時、幕府から疑いの目で見られていたのがポルトガルで御座いました。

信綱

「おそらく一揆を指揮している指導者は、キリスト教国(ポルトガル)が救いに来ると農民に叫び一揆を維持しているのではないか?」

と読んだので御座います。

そこで外国船に攻撃させる事で一揆衆に動揺を与えよう、と考えた訳で御座います。

白羽の矢がたったのがオランダで御座いました。

オランダは日本と貿易を望んでおり、更に彼らはプロテスタント、商売と宗教を切り離しますと明言しておりました。

「オランダに原城を攻撃させれば、一揆衆は動揺するに違いない。連中に国や宗派の違いが分かるとは思えない。キリスト教国に攻撃されれば救援は来ないと彼等は思うだろう。そこを突く」

これが知恵伊豆、松平信綱の作戦だった訳で御座います。

対してオランダは、この時ポルトガルと戦争状態でありました。

故に彼らはポルトガルを日本貿易より排除して、自分たちで日本貿易を独占したいと思っていたわけで御座います。

そんな訳で彼らは気前よく幕府に協力し、気前よく大砲をぶっ放した訳でありますな。

実際、この砲撃が与えた動揺は大きかったようで、ここから一揆は崩れていきます。

時を置かずして幕府は一揆衆に対して、キリシタンでなく巻き込まれただけの農民は罰しないので投降しろ、という矢文を撃ち一揆衆の弱体化を図ります。

正に孤立無援、絶望の城となった原城から脱出する農民も多かったと言われておるそうな。

そして信綱は、死んだ一揆衆を腑分けし胃に海藻しかない事を確認。城内の兵糧が限界を迎えている事を察し、

遂に総攻撃を仕掛けます。

13万にも及ぶ大軍団の攻撃を受け原城は粉砕され、

天草四郎を含めた一揆衆は全滅したので御座います。

こうして日本最大の内乱、島原の乱は鎮圧されたので御座います。

【戦後処理】

しかしこれでめでたしめでたし一件落着とはいきません。

この島原の乱のそもそもの元凶は松倉勝家の圧政によるもの。

ですが松倉勝家はこの一揆はキリシタンによる暴動であって自分には落ち度はありませんと主張したのだとか。

無論こんな責任逃れが通るハズは御座いません。

幕府による徹底調査によって勝家による邪悪な所業が明らかになり、

遂には改易

後に勝家は斬首となりました。

江戸時代斬首された大名は松倉勝家ただ一人なので、幕府が如何に松倉勝家の所業を許し難いと感じたかがお分かり頂けると思います。

更に天草にて圧政を行い一揆をおこされた寺沢堅高も改易!

寺沢堅高は松倉勝家に比べればまだマシでした。まあこいつも最期は自殺してしまうのですが。

幕府はこの乱の後、ポルトガルは危険と判断し、

ポルトガルと断交し、代わりにオランダと貿易関係を結ぶこととしました。

聞いた話では天草四郎の首はポルトガル商館の前に晒されたそうで、

幕府がこの乱の後ろ側にポルトガルの影を感じていた証拠ではないでしょうか。

こうして島原の乱は終結。

幕府の支配体制もいよいよ確立する事になったので御座います。

                                           話者   大宅世学