さて皆様、長々とお休みして申し訳ございませんでした。
ようやく更新となります。申し訳ない。
さて前回は島原の乱が終結したところで御座いました。
今回はその後の幕府の外交についてであります。
この一件で幕府は改めてキリスト教の危険性を認識致しました。
そしてそのキリスト教を広めようとするポルトガルを危険視したのです。
島原の乱鎮圧の一年後、1639年に幕府はポルトガル船の来航を禁止。
1641年には平戸のオランダ商館を長崎の出島に移し、日本人とオランダ人の交流を制限したので御座います。
これを称して鎖国と言う訳です。
しかし最近、鎖国という言葉は使われなくなったとか。
と、言うのも別に日本は外国と交流しなかった訳では無く、
長崎・清国、オランダ。
対馬・朝鮮。
とちゃんと貿易していたのですな。
ですので一切交易していないかのような「鎖国」という言葉は使われなくなってきたのだとか。
ちなみに日本はオランダに対してオランダ船来航の度にオランダ商館長かぴたん(キャプテンの事ですな)に世界情勢を記させたオランダ風説書という書類を提出させておりました。
これが後々、日本を大いに助ける事になるのであります。
短いですが残りは次回、ということで・・・・。
よろしくお願い致します。
話者 大宅世学