さて皆様、今回は関ヶ原の戦いについてで御座います。
徳川家康は遂に豊臣政権のトップに立つと、
大名達に加増・転封を次々に実施したそうな。
これは大名達に恩を売ると同時に、
大名達を徳川の下に組み込むためで御座いました。
このままでは徳川家に乗っ取られると考えたのが、
豊臣五奉行が一人、石田三成だったので御座います。
三成は密かに上杉景勝と約定を交わし、まず上杉が兵を挙げ、それを追討する家康を三成が豊臣秀頼を奉じて討つ!という計画を立てた。(と、されているが実はこれは俗説にすぎないとか)
さて徳川家康は上杉景勝に上洛を命じたが、景勝がこれを拒否!
家康はこれを討つ為に軍勢を引き連れて出陣したので御座います。
すると三成は早速行動を始めた。
つまり関所で家康に与しそうな諸将を足止めしたり、
挙兵宣言を出して軍勢を集めたりしたのであった。
そして次に徳川に与する武将の妻子を人質にしようとしたのであったが・・・。
これが大失敗!
加藤清正や黒田長政の妻子には逃げられ、
細川忠興の妻、ガラシャに至っては邸宅に火を放っての壮絶な自害を遂げられてしまう。
更に伏見城を襲撃し、これを落城させたので御座います。
対して家康は、
三成挙兵を聞きつけ小山にて諸将を集めて評定を行い、
打倒三成の方針を固めると転進!(これにも諸説あるとか)
まあこれらに関しては番外編に丸投げしますので詳しくはそちらで・・・。
あ、関ヶ原に関する面白い話を募集しております。よろしければ何でもお教え下され。
さて、1600年10月、家康率いる東軍と、三成(名目上は毛利輝元)が率いる西軍が関ヶ原にて激突!
数的・状況的には有利だった西軍ですが、
家康の超人的策謀と、三成の人望の無さによって遂には逆転!
結果は西軍の敗北で終わったので御座いました。
これにより家康は遂に、遂に。
日本の頂点へののし上がったので御座いました。
さて、次回はその辺りについて・・・。
何卒、よろしくお願いいたします。
話者 大宅世学