さて、今回は方広寺鐘銘事件についてお話させていただきます。
今までこの事件は「徳川家康のでっちあげ」とされてきましたが、
最近ではこれは俗説であり、真実は異なる、というのが最近の通説なんだという。
渡邊大門センセイだとか、笠谷和比古氏の研究によって、従来の通説は否定されたのだいう。
方広寺鐘名事件の問題点とは何か・・・。
【七転八倒した方広寺】
方広寺は、豊臣秀吉が1588年に実施した刀狩によって集められた武器を溶かして造られた、という話が余りにも有名で御座いますが、実はこの後地震の被害を受けたり、新しい大仏を造ろうとして火災が起きたりと踏んだり蹴ったりの寺であったとか。
そんな方広寺でしたが、なんとか、なんとか大仏開眼供養が執り行える・・・というところまできた、その時。
なんとここで問題が起きた。
まず家康の懐刀、南光坊天海が前回の供養会は真言宗が上座だったのだから今回は天台宗を上座にせいとねじ込んだ。
これは恐らく、今回の開眼供養導師が天台宗だったことから、天海に対して何らかの助力願いが出たのであろうとか。まあよくあることである。
すると問題がこじれにこじれる。
供養を二日に分けよ、とか供養会に真言宗僧侶が出るとは何事だ、とかもめにもめてしまった。
すると1614年、鐘銘に不吉の語がある、として家康が不快の意を示す。
豊臣方責任者、片桐且元は8月18日の豊国神社臨時祭までに供養会を行いたいので8月3日を指定したが家康の気持ちは変わらない。
そうこうしている内に大工頭より鐘銘の写しが届き、
そこに国家安康の四文字がある事が判明!
これが大問題となるのでありました。
何が大問題なのかは長いので次回にいたします。
宜しくお願い致します。