さて激怒した徳川家康。
諱を書くのは超無礼なんだからそのまま豊臣征伐・・・かと思いきや、
家康の恐ろしいところはここ。
まず彼は本田正純に方広寺鐘銘問題対策チームを結成させ、
京都五山の高僧達に方広寺の鐘名を解読させたので御座います。
五山と言えば日本漢詩文界のトップな訳であります。
さあ、当国が誇る漢詩文専門家の意見は!?
建仁寺 「国家安康」という分で諱を犯したことはよろしくない
天龍寺 考えも無く家康の諱を書く事、特に銘文の言葉が諱に触れる事はよろ しくない。ただし、遠慮して避けるべきかは覚えていない。
相国寺 銘文中に家康の諱を書くことは、好ましくない。ただし、武家の決まりは知らないが、五山では人物について書くときに諱を避ける決まりは無い。
東福寺 家康の諱に「安」の字を入れた事は最もよくない事である。・・・諱を避けるのは日本・中国の古い決まりである。(この様な事をするのは)物事を知らない為である。
南禅寺 諱を「国家安康」と書き分けるとは前代未聞。・・・この様な事は古今あった事が無い。
嗚呼、最悪!
五山は全会一致で「方広寺鐘銘に問題あり」としてしまった。
だが読んでみると、五山の中でも天龍寺と相国寺はかなり優しい文章であった。
つまり、確かに諱に触れた事は悪い事だけど、五山では諱を避ける決まりは無かったから・・・・といってソフトに銘作者を援護。
作者は文英清韓といって五山の碩学として知られる。
彼をかばおうという優しさがうかがえます。
しかしそんなほのかな優しさを粉砕するのが南禅寺と東福寺。
諱に触れないのは常識で知らん筈がないわ!という一喝である。
更に彼らは「こんな長い銘文は初めて見た」とまるで縁起か勧進帳だと銘文を嘲笑し、清韓和尚に対して「田舎僧の如き」と悪口を言う。
また彼らのいう事によれば、本来この様な鐘銘の仕事は五山の長老(名ノ高キ人)がやるべきであって、しかるに清韓和尚は(本来許されないのに)この様な栄えある立場に抜擢されていながら、我々に鐘銘について何の相談も無かった、という。
清韓和尚への嫉妬だと思えますが、実は清韓和尚、豊臣氏と仲が良く、その縁故によってこの大舞台に抜擢されたと思われるのだとか。
と、なれば豊臣氏に対して
「お前達は何を考えてあの男を指名したのか」
というクレームが来る、というのも自然な流れでありました。
・・・そう、ここまで読んで頂いた皆様、一つお気づきになる事があると思います。
従来、ここで家康は「国家安康は家康の名前を真っ二つにしてこれを呪うもの」であると言った、とされていますが、
ご覧のとおり、家康もそして五山僧もこの銘文が呪いかどうかという点には触れていない。
若し、これを呪いだとするならば、五山僧にもそれについて質問が飛んだだろうし、五山僧も答えたであろう。
しかし、見てのとおり呪いについてはノータッチ。
そしてお気づきになったでありましょうか。
そう、この事件の黒幕として名高い、林羅山の姿が無い事に!
実は方広寺鐘銘事件、林羅山は関わってなかったのではないか、という説が最近有力視されているのだとか。
何故ならば、
この時林羅山、何をしたのかと言えば五山への使者である。
そしてこの時代、林羅山にはまだそれ程発言権が無かったであろう事なんかを足して鑑みるに、
恐らくこの事件において林羅山が「国家安康は呪い」と言った、という説は
後年での作り話だと思われるのだとか。
諱を割ることが、ただそれだけで家康への無礼にあたり、
そしてそれだけで豊臣氏への踏み絵を迫れるのであれば、
家康はこの銘文の意図に関しては一切興味を示さなかったでありましょう。
うーん。なるほどねえ。