日々是学ぶ! -19ページ目

日々是学ぶ!

歴史は糸玉のようなもの、とわたくしめは思っております。
歴史はありとあらゆる出来事が絡まって出来上がる物でどの糸を辿るかで糸玉の色は様々に変化致します。
わたくし大宅世学、未だ未熟者ながら皆様と歴史を観測し語り合いたく存じます。

皆様、ずいぶん間が開いてしまいました。ようやく続きを書きたいと思います。

方広寺鐘銘事件にて豊臣方に翻意を感じた家康は、これに厳しい対応を致しました。

これには諸説理由があるようですが、もしかすると豊臣方がキリシタンの浪人を雇っている、という情報が家康の元に届いたのがキッカケかもしれませぬ。

ええっ!キリシタン!?何故そんな連中を・・・と思いますが、

当時既に江戸幕府が始まり全ての大名がこの支配下に置かれると、

もう誰も豊臣に味方しようとは思わなくなりました。

故に彼らは反徳川の連中をかき集めていたのですが・・・。

その筆頭がキリシタンだったのだとか。

これは決して不思議な事ではない、とのことですが。

にしても悲しい話。

キリシタンは豊臣秀吉が、日本侵略の尖兵と断じて追放した連中。

その連中の力に頼らないといけないとはまさに貧すれば・・・というやつ。

となれば家康は怒る。

これに慌てたのが豊臣方の外交係、片桐且元で御座いました。

彼は必死に家康に弁解しようとしましたが、

なんと家康に会えない

この家康の姿勢に、

徳川は豊臣を滅ぼそうとしている!

と察知。

そこで豊臣方に、

豊臣秀頼の大坂城退去

秀頼の母淀の江戸への出頭

大坂城に居る全浪人の追放

の3条件を提示し、

このどれか一つで徳川方と和睦しよう、としたので御座います。

ちなみに確か、この条件は家康ではなく

片桐且元が独断で考えたものだとか。

その為か、どれもそこまで受け入れがたいものではない。

しかし同時にこの3条件は、要するに豊臣の徳川への臣従を意味しておりました。

それゆえ豊臣方の強硬派激怒し、

且元は徳川と内応している!

として且元を暗殺しようとしたそうな。

これに驚いた且元は大坂城を退去し、

攻撃に備え守りを固めたので御座います。

しかしこの且元攻撃こそが家康の狙い

実は片桐且元、豊臣派に属する武将ではありますが、

なんと徳川からも恩賞を受けており

これにより且元は半分徳川、半分豊臣という微妙な立場だったのでした。

故に、且元への攻撃は徳川への攻撃とされ、

こうして最後の戦い、大坂の役が始まったので御座います。

次はその大坂の役について、よろしくおねがいいたします。

                           話者   大宅世学