前回、院が身辺警護の為に武士の登用を図ったと書きましたが、実は前々からちょくちょく朝廷は軍事貴族に(つまり武士に)頼っておりました。
例えば上野・下野・常陸を襲撃し、新皇を名乗ったかの平将門の乱や、伊予掾が海賊の長となり大宰府を襲撃した藤原純友の乱。他には諸国で度々起こった強盗、群盗蜂起などに対して武士を押領使・追捕使に任命してこれを鎮圧させたりしました。
さて、そんな武士の中で最も有名な二家といえば言わずもがな源氏と平氏でありましょう。
この中で最も早く中央政界に名乗りを上げたのは源氏、しかも清和天皇の血を継ぐ清和源氏であった。
彼らは源経基が藤原純友の乱鎮圧でその名を高めるとその子孫源満仲がかの安和の変(969年、醍醐天皇の皇子源高明が謀反の疑い有りと密告され配流)にて藤原氏についたのであります。第四十一回にてちらっと出てきますがこの密告者こそ源満仲その人。これで摂関家との強いパイプを手に入れた源氏は武士の頭領としてその名を高めていくので御座います、
満仲の後、源頼信が俘囚の長であった平忠常の反乱を鎮圧。
更にその血を継ぐ陸奥守・鎮守府将軍の源頼義が前九年の役にて清原氏の内紛を治めて武士の頭領としての地位を見せつけました。
更にはその子供。今も名高い八幡太郎こと源義家が後三年の役にて源氏の力をこれでもかとみせつけたので御座います。
さてはて、武士としての力をどこまでも高めていく源氏に対して平氏はどうであったのか?
残念ながら平氏は源氏程の華やかな話は少ないので御座います。
平氏の一等は桓武天皇を祖とする桓武平氏でありましょう。
平高望を始まりとして国香・貞盛・・・と続くので有りますがやはり少し地味。
しかしその地道な努力は院政期に花開いたのであります。
源氏の力の高まりを快く思わなかった院はここで平氏を積極的に登用。
義家の子供で手の付けられぬ悪党になっていた源義親の乱を鎮圧するよう白河院が平正盛に命ずると正盛はこれに応え、その後、平忠盛が鳥羽院と、平清盛が後白河院と結びつき一気に政局をひっくり返したので御座います。
さて、次回はいよいよこの武士の世界をもう少し詳しくお話する事に致しましょう。どうか宜しくお願い致します。
話者 大宅世学