■知立市・八橋かきつばた祭~八橋古城址 | 雲雀田学級日誌

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「オリジナルマンガ」がメインのはずですが、
「レトロゲーム」「鉄道」等に逃避する事が多くなるかもです

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■名鉄三河八橋駅
近くだけど行った事の無い名所シリーズ。
今回は知立市にある無量寿寺にある、
「八橋かきつばた園」へ電車で行ってきました。

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■三河八橋駅改札口
最寄り駅は「三河八橋駅」、
無人駅ですが立派な高架駅に変わり果ててました、
地上駅時代は敷地の一角にカキツバタが植えられてましたが、
当然消えてるようです…。
改札の内も外も中も結構な広さがありますね、

行き止まりになってるような部分もありますが、
テナント用のスペースでしょうか。
今の所特に店舗などは無く、
無駄に広いだけに見えてしまいますね。

混んでるの避ける為平日に赴きましたが、
広い構内は閑散としていました。


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■無量寿寺
「無量寿寺」は駅から徒歩で5分~10分程度の所にありますが、
正式な入口は駅から見ると反対側にあります。
裏側からも入れますが駅から徒歩の場合、
途中から歩道が無く危険だと思いました。
道順が違ってたのか、それとも電車で来る人はいないのか…?。
この日は平日なので道路の交通量は多く徒歩だとちょっと怖い…。
車で来る場合、少し離れた公民館が駐車場らしいですが、
あまり台数停められない感じなので、
恐らくピーク時は近隣の田んぼは路駐だらけになると思われます(推定)。

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■一面カのキツバタが見られる池はほんの一部でした
見頃は過ぎてましたが、花自体は奇麗に咲いてました、
しかし近年土壌汚染等で花が咲かなかったり枯れたりしていて、
現在は再生活動に取り組んでるそうです。
殆どの池は間引きされた状態で、
奇麗に見られるのは一部の池のみでした。

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■間引きされた再生活動中の池
もし池全部のカキツバタが咲き誇ってたら見応えあったと思います。
そこそこ有名にも関わらず、
駅からの歩道が整備されて無いのが残念…。
シーズンの鉄道利用者はそこそこいるので、
何とかしてほしいと思いますが、
先ずはカキツバタ自体の再生が優先になるのでしょうか。

次に向かったのは近くにある(らしい?)、「八橋古城址」へ。
「無量寿寺」にも看板があったけど、迷いまくりました。

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■住宅地内にある公園、字名が公園名になってます
住宅地内の公園にあると聞いてましたが、
本当に住宅地内の一角にありました。
近くに「城」の名前の付いた公園が幾つもあるので紛らわしいですが、
ようやく本命の公園を発見できました。

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■本命の公園
ここが本命の「八橋葦香城跡公園」です。
他の公園よりは少し広いです、
そしてこの公園の奥の階段登った場所に石碑と案内板がありました。

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■案内板、リニューアルされてます、その理由は…
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■民家に隣接した僅かなスペースにあります、城跡の殆どは宅地になったようです
少し昔までこの辺りは雑木林と棚田になっていて、
いつも電車の窓からなんて良い所だろうと眺めてた所でした。
近年、住宅地に開発する際に遺構が発見されて、
それまでは詳しい事は不明だったのでしょう。
残されたのは僅かなスペースに申し訳程度に案内板があるだけでした、
「若林城址」よりかは全然マシですが。
この日この時間、公園で遊んでる子供は誰もいませんでした、
場所も完全な住宅地内なのでカメラ持ってウロウロしてると、
通報されそうなので、男性が一人で訪れる場合注意が必要です。
そんな場所にある「八橋古城址」ですが、
ひとつ謎なのは何故「葦香(あしか)城址」の石碑がここにあるの…?

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■何故か「八橋古城址」にある「葦香城址」の石碑
調べるとどうも最近まで「八橋古城」=「葦香城」と同じ城を示していたようです。
(ネット上にも殆どそう紹介されてます)
ここにある「葦香城址」の石碑は昭和28年に建てられた物で、

かつてこの地に2つの城が存在したのは分ってますが、
こちらの「八橋古城」というのは通称で正式な名称は不詳。
(※八橋に古い時代にあった城という意味)
そしてもうひとつの「葦香城」ですが地図の場所は、
ここよりも完全な宅地になっていて遺構らしき物も特に無いそうです。
明治時代の地図に記されてるのと、
昔「葦香城」という字名があったという程度の情報なので、
本当にその場所に存在したのか謎ですね。
石碑の建立時の状況が不明ですが、
恐らく現在より更に資料や情報が少ない状態で建立されてしまったのでは?
と思われます。
なので、撤去して正しい場所に設置するか、
石碑の表面を削って消す等の案が出たらしいですが、
案内板を新しくしてそこに説明文を加える形となり、
最近リニューアルされたそうです。

何故最近まで「八橋古城」を「葦香城」と認知されたままだったのか?
ならば
「八橋古城」の正式名称は?
遺構の無い「葦香城」は本当に地図の場所に存在したのか?…etc.
色々と妄想を掻き立てられて面白い場所だと思いました。