人は生きていく中で常に目標を持ち、その目標に向かって最善の道を選ぼうとします(^^)


しかし最善だと思い選んだ道が必ずしも親子が同じ道を選択するとは限らずどちらが最善の道なのかは分かりませんがお互いの想いを伝えると言うことの大切さと難しさを感じました、と言う両親の姿がありました☆彡


彼女の家系は教師家系で両親を初め親戚関係が小、中、高のいずれかの教師てして勤めていました(^O^)


そのような環境の中で育った彼女は幼い頃から教師になることが使命であるかのようにある種の重圧感を抱えながら中学校2年の夏を迎えていました(^.^)


進路相談が始まり、第1志望から第3志望まで自分のこれからの進路についてよくご家族と話し合って記入するように担任の先生から告げられたのです☆彡


しかし彼女は幼い頃から教師になるのが当たり前のように思っていましたが中学校1年の春に課外活動で福祉施設のボランティア活動をしたのをきっかけに福祉の世界に関心を抱くようになりました★


彼女は将来教師と言う選択肢の他に介護や医療に携わる為に看護師と言う職業が頭の中に芽生え始めました★


そして彼女は教師と言う領域を消し去り今は看護師になりたいと言う想いが確固たる意志になっていました(^^)


進路希望のプリントを持ち帰った彼女は初めて両親に自分の看護師になりたいと言う想いを告げたのです☆

彼女の話を聞いた両親は驚き、なぜ看護師になりたいのか、と彼女の想いを確かめようとしました(^_^;


両親は教師の家系に育ち娘も教師になることを望んでおり、当然娘も教師の道を選ぶことを信じていました(>_<)


彼女は目に涙を溜めながら自分の想いを打ち明け始めました★


「教師の仕事はお父さん、お母さんを見ていて尊敬できる仕事だと分かっているつもりです★私は人を教えて育てることも大切なことだと理解しているつもりです(>_<)


けれど私は救いを求めている人逹や心のケアを必要としている人達に寄り添い少しでも笑顔になってもらえる仕事をしたいと思ったのです★」と伝えました(^^)

すると黙って聞いていた両親は彼女に悟すように彼女の想いを理解した上であえて言いました(^o^)


「看護師と言う仕事は過酷な仕事で人の生と死に直接関わると言うとても責任の重い仕事であり強い心を持つことが大切なことだけれどその覚悟はあるのであれば反対はしないよ(^^)」と言いました(^-^)


彼女は両親の話を聞き考えました_(._.)_


確かに人の生と死に直接関わることを初めて意識をし、その現実に立ち向かう強い心が自分にあるのか、自問自答をしました(^_^;


次の日の朝、朝食の席に着いた彼女は両親に宣言したのです(^^)


第1志望は看護科のある高校に決めました、と真っ赤な目をしながら言いました(^-^)v


両親は彼女の真っ直ぐな眼差しときっぱりとした宣言に頷き「貴女が真剣に考え出した結論であれば私達は応援するよ(^o^)」と彼女の持ち帰った進路志望の第1希望の欄に彼女の宣言した高校名を記入し保護者欄にサインをしました♪


教師と言う仕事に誇りと信念を持って取り組んできた両親の本音は教師の道を選んで欲しいと思っていましたが両親の知らないうちに娘は予想以上に成長していたことを嬉しく思う気持ちへと変化したのです(^^)v


現在、彼女は第1志望であった高校に通いながら看護師の卵として希望に満ちた日々を送っています(^.^)

そして彼女を見守る両親は娘の出した答えが正しい選択だったのか分かりませんが両親として娘が強い信念を持ち出した答えを心から応援していこうと決意しました、と笑顔で話をしてくれました(^-^)


子供、障がいをお持ちの方、高齢者、盲ろう者、家族と関わる中で自分の強い信念を持って決断した道であれば苦難が押し寄せてきたとしても乗り越えていけるのだと信じています♪
子供と関わる中で相談活動は大きな柱になっており、不登校、病気の心配、交友関係の悩み、部活動や進路の悩み、家庭での対人関係等、多様です(^_^;


相談活動を継続してきて分かったのは子供達は柔らかなよく育つ芽をを内に秘め可能性の塊のような存在であることであり人は生きていること限り成長することができると言うことに気がつきました、と言う教師達の姿がありました☆彡


ある教師の生徒のひとりでの彼は人より時間をかけかかり自分らしさを見つけて卒業をしていきました(^O^)


高校入学してまもなく学校に行けなくなり留年してしまい、その時は民間の相談所で家族療法を受けた、と聞きました★


一時的に登校できるようになりましたが半年もしないうちに再び欠席がちになり病気が再発してからは本人が治療期間に行かないためお母さんがカウンセラーのところへ相談に行く時がありました★


2回目の1年生の時、彼は欠席日数は多かったものの進級することができました☆

欠席や欠課が多いのにテストの点数はよく担任の女性教師にとっては授業を受けていないのに成績がよく登校しない彼のことを不思議で仕方なかったと言います(>_<)


2年生の時も欠席が多く体育や音楽などひとりで人前にさらされる場面を避けていて欠席の仕方も校門まで来ていながら校内に入れず学校から離れた公園で時間を潰して帰宅していました(^.^)


この時期、彼が閉じこもりのため彼と面談できなくお母さんに来校してもらい、この時期に大切なのは1対1で密着した時間を持つことだと感じました(^_^;


しかし彼のおばあちゃんは病を持っておりおばあちゃんの世話をしている主婦としては厳しい要求であることを承知しながら彼との過ごす時間を作ってほしいとお願いをしたのです★


その頃の彼は欠席は多いけれど登校した日は体育以外の授業は受けて帰ると言う日が続いていました(>_<)

また運がよくこのクラスにはグループに所属していない男子生徒がいて、この生徒と彼は気が合うところがあり一緒にいることでクラスでの居心地はよくなってきました(^.^)


しかし彼はエネルギーを出しきった状態となり年度末になると大幅な欠課時数と成績不良が進級を妨げることが危惧されました(>_<)

そこでカウンセラーの意見書を参考にしながら関係職員で検討し最終的には体育科の判断により健康上の特別配慮と言う形で進級ができたのです(^^)


そして進級をした後、どんな先生に担任してもらうかが大切な課題であり教育相談に関心が深く優しい父親的な雰囲気の先生にしてほしいと学年主任に申し入れました(^^)


そして新しく担任を持つことになった男性教師と保健室の先生はお母さんと世間話ができる関係になりたいと考え愚痴を聞かせてもらえるようになることをひとつの目標にしていました☆

何事にも遠慮がちで優しく辛抱強いお母さんでお母さん自身のつらさや苦労が会話に出るまでは時間がかかりました(>_<)


半年が経つと「学校には私にとって行きたくはありませんが保健室には安心して入れます♪」とお母さんから言ってもらえるようになりうちとけた雰囲気が感じられるようになりました(^-^)


すると「息子が勉強の遅れを取り戻し進学を目指したい☆」と言う気持ちがあることを教えていただきました(>_<)


そこで担任の先生は家庭教師を紹介し家庭教師をしてくれる先生は自分も治療を受けるひとりでもありました☆


一方でカウンセリングの勉強もしており家庭的にも彼とよく似た環境で育っていて教科を教えてもらうより話し相手として重要な役割を担っていました(^O^)


すると少しずつ彼は家庭教師の先生に学校の話をするようになり久々に学校に行ってみたい、と打ち明けるようになりました(^-^)


そして少しずつ明るい笑顔を取り戻した彼は再び保健室に登校するようになり保健室で勉強するだけではなく体調が良い日には先生と共に在籍しているクラスで勉強できるまでになりました(^-^)


そしてその一方で彼を応援したいと教師逹は教育的配慮を要する生徒と認めて保健室登校日を出席日数にカウントし卒業認定については承認されました(^-^)


現在、彼に話を聞くと人より時間をかけ学校に通いましたが自分はひとりではなく人に対して優しくできることが一番人として大切なことなのだと思います☆



そしてこれから大学行き高齢者や障がいをお持ちの方の建築を専門的に学び将来今までできなかった親孝行をしていきたいです、と笑顔で話をしてくれました☆

子供、障がいをお持ちの方、高齢者、盲ろう者、家族と関わる中で「ありがとう」「ごめんなさい」を素直に言える大人になり、感謝の気持ちや素直な気持ちをもち人の痛みが分かる人になりたいと感じました♪
人よりも少し遠回りしてきましたが自分のペースで行きつ戻りつの自立への峠道を歩いてきました(^O^)


峠をこえるまでにどれくらいの道のりなのか分かりませんが自分らしい道を探して自分の頭と足を使って歩いていけるのを見守っていきたいという両親の姿がありました☆彡


両親の息子さんはおとなしく真面目な印象であり感情の表現が少なくいつも真剣な表情で言葉を選びながら話をするのです☆


幼い頃から父とキャッチボールなど一緒に遊んだり、かわいがってもらった思い出はほとんどなく仕事中心の父と話をしたことは成績や受験の話のことだけでした(>_<)


中学校に入学したあとも毎日緊張しながら頑張って勉強に専念していました☆


幼い頃から厳しく育てられ仲間と遊んだ経験も貧しく両親に甘えことも少ないことから他者との距離の取り方が分からず怖くてありのままの自分が出せなかったのです_(._.)_


「人よりも良い成績をとること」以外に自分に自信の持てる価値が育っておらず真面目な勉強をすることや軽い感覚の話ができないことから集団の中に入れず自信を失い「真面目」と言われるのが怖かった、と言います★


自分は人と違うのではないかという不安が胸に広がり他者の目が怖くなり足がすくんでしまいました_(._.)_


父親は自らの父との関係がそうであったように家族に対して一方的に指示をする関係を作っていくことが父親の生き甲斐でそこから外れることは許されなかったのです★


自立に向かって歩き出そうとしている息子さんのメッセージは父親に届かず子供を成長の主体として信じられない子供を観を持っていました★


その一方で母親は父親には逆らえず息子さんを守ることができず怖くて逃げてしまっていたと振り返ります(^.^)


彼が家で孤独を感じ深い悲しみを抱えて生きていることを知ったのです★


それを知った担任の先生と保健室の先生が連携をして話をする時間を作り話をして気がついたことは彼には今、自分のことは自分で決めたいと言う自立の欲求が育ってきている反面、まだ父親を乗り越える力はないと言うことでした☆


しばらくは息子さんのことを受け止め安心のメッセージを送り続けていきました☆


そして先生はひとりで通学路を歩く心細さをさりげなくカバーしてくれ、ハイキングに誘い仲間の中に入れるようにしてくれました☆

息子さんがどんな課題を持っているか理解した上で温かい眼差しで見守りそれぞれの方法で援助をしてくれたのです(^.^)


また美術と言う得意分野があると感じた先生は絵を描くことを通して自分を表現し、想像する力を伸ばしてくれたことが大きな影響となりました(^O^)


父親との葛藤で傷ついた心も先生との交流の中で生きるエネレルギーをもらい父親に対して自立をしていこうという気持ちを表現する力も育っていきました☆


保健室の先生には担任の先生とは違った自分の感情をぶつけ、わがままを言いだだををこねたり泣いたりしながら感情を豊かに出せるようになったのも大きな成長でした(^^)


母親も働くことを決心し息子さんのつらい気持ちを理解し夫との間に入り息子さんを守るようになりました☆


やがて父親も母親の働きかけでようやく息子が怠けていないことを気がついてくれるようになりました(^^)

父親との葛藤でエネルギーを消耗することも少なくなり息子の内面でも父母への思いに変化があらわれはじめました(^O^)


そうした経過の中である日保健室に作っていた彼の引き出しを片付けに来て自分の荷物を引き上げたのです☆


それは息子さんの心の整理がついてきた証でもありました(^O^)


現在、息子さんに話を聞くと沢山の方々に支えられ今の自分が自分のままでいられる幸せを感じています☆

一歩踏み出す勇気があれば道は開けるのですね、と笑顔で話をしてくれました♪

子供、障がいをお持ちの方、高齢者、盲ろう者、家族と関わる中でひとりで抱え込まずに相談できる人を見つけることが大切なことです(^.^)


人に感謝をする気持ち、素直な気持ちを忘れずに伝えていくことが大切なのだと感じました(^O^)♪