子供と関わる中で子供の様子をしっかり観察し粘り強く子供を支えていく態度をしめすことです(^O^)


家族同士の会話も少なくなったり言葉の行き違いにより家庭内は暗くなりがちと言うこともありますがこうした家庭環境の変化は大きな影響を与えることを分かってほしいと言う彼女の姿がありました☆彡


教師をする両親を持つひとりの少女は小学校のころから友達付き合いが苦手で学校ではいつも浮いてしまう存在でした_(._.)_


思春期になればある程度は親から独立していくのですが少女は常に両親の言うことをは素直に聞き両親をそのまま移したような感じの子供へとなってしまったのです(^.^)


例えば色々な悪さなどを他の友達が行うとすぐに先生に言いに行くのです(^_^;

少女はそれが正しいと思っていて融通が利かなくそのためクラスの仲間からは距離を置かれてしまっていました★


少女は親離れができておらず両親からは毎日のように学校に電話があり、進学の時期になると本来は子供が聞くべきなことなども両親が先生に質問するという状態でした☆


このように両親が何でも子供のことをしてしまうので少女は自主性に欠けていており、両親の言うことは正しいと感じており、いじめにあっても自力で立ち直る強さがありませんでした☆

表情が乏しく笑うことが少なく家庭の中でも笑いがなく両親とは勉強のことしか話さなかった、と言います(>_<)


少女と関わる中で気がついたのは目を見て話ができず、さらに話をしていても最初は頷くことさえもできておらず人間不信に陥っていたのです_(._.)_


ただ勉強の話しになると少しばかり反応があり彼女は少女とそのあたりから話をしていくことにしました☆

そこで「はい☆」「いいえ★」で答えられるような話をしていくと頷いたり首を振ったりという反応をすることが少しずつできるようになっていきました(^^)


また「はい☆」「いいえ★」と言うだけではなく少女は彼女に心を開くようになり彼女が質問をしていくと自分の気持ちを少しずつ話ができるようになり彼女はそこで「ああ、こう言う声でこう言うことを考えていたのだ★」と言うことが分かったのです(^.^)


子供への対応と同時に行っていなければならないのは両親への対応で多くの両親は自分の育て方は正しいと思っているだけに両親への説明は詳しく丁寧に行わなければならないのです(^^)

少女の場合は小学生のころからいじめにあい、友達がひとりもいなかったのです(>_<)


その原因はすぐに自分の価値観が正しいと思い込み、少しでも許されない行為をしている人がいるとストレートに悪いことは悪いといってしまうことにありました★


また両親が不仲であり母親は偏った愛情を少女に注いでおり過保護になっていったのです(>_<)


そこで彼女が少女の両親をひとりずつ呼んで話をしたのですが両親には表情がなく、両親は「あの子の趣味は勉強なのです☆」と話をしました(>_<)


以降、カウンセリングを重ねていきましたが当初この両親が笑っているのを見ることができませんでした★

幸いカウンセリングを進めていくうちに両親も少女にも笑顔が見られるようになりました(^O^)


少女も自分の至らなかった部分を意識しながらクラスの仲間と話をすることにより少しずつ学校でも話をする友達ができるようになっていきました(^-^)v


この先も焦らずに家族の協力を得ながらカウンセリングを続けていけばもっと多くの友達が作れると思います、と笑顔で話す彼女の姿がありました(^O^)♪


子供、障がいをお持ちの方、高齢者、盲ろう者、家族と関わる中で本当の優しさとはどういうことか考えるチャンスが増えてきた今、時には何でも周囲の方が何でもやるのではなく本人のできないどころだけをお手伝いすることが大切なことだと改めて感じました(^.^)♪
思いがけないことが起こって場の雰囲気がなんとも言えない緊張をはらんでいても皆いたたまれない思いで沈黙の中にいて心の中では誰か何とかして欲しいと思っているのです(>_<)


そんな時にちょっと焦点を外した上手な言い回しで笑いがこぼれる話にしてくれる人がいるとほっとした気持ちが皆の反応を促して急になごやかになることもあるのです、と言う女性の姿がありました☆彡


息子さんは中学3年生で学校に通っていたのはずいぶん昔のことであり小学校低学年の頃から欠席が多く高学年になると学校には行けなくなって行きました(..)


息子さんはご両親の知人の女性に他の場所で1対1のカウンセリングを受けており毎週1回はひとりできちんと出かけていきます(^O^)


またそれに加え家族面接を行っていましたが初回の面接の前半、母親の絶えることのない笑顔が気になったのです★


息子さんはもう学校には行っておらず将来のことを思う父親の言葉の少なさは理解できる気がしましたが母親の常に明るく話す様子が不思議でした★


そして母親が話をはじめると雰囲気が変わり同じように息子さんの話をしているのですが行き詰まりのような深刻さは感じられませんでした☆彡


そして母親の印象は笑みがこぼれ口調はあくまで穏やかで親しみやすくつい父親よりも母親に話をかけてしまっていました(>_<)


しかし受験目前の息子さんを抱えており両親に焦りやいらだちがあるのは当たり前で相談に訪ねてやってきておりもっと混乱やためらいが見えても当然なのです★


ところが多くの場合、場違いな笑いは何かを隠そうとしているサインで強い緊張やストレスの存在を示しているのです_(._.)_


笑いは場の緊張を一時はゆるめてくれますが元になっている事態には何の働きかけもしないのです(..)


そこには笑ってごまかさないと耐えられない心情があるのです★


そこで女性は「皆さんとても明るくてそんな心配の存在は感じられなく和気あいあいとした感じに見えるのですね(>_<)」と言いました☆


すると長い沈黙が起こり兄弟達は顔を伏せてしまい黙っていて父親も伏し目がちにじっとして口を開かず母親からは笑顔が消えてどう答えようかと言うように迷っているようでした☆彡


母親ひとりが考えているもので投げ掛けたメッセージを両親が一緒にどう答えたらよいのかと考え込んでいる様子はありません(>_<)

しばらく時間が過ぎ母親が少し笑顔を回復させ「私が暗くなったら家庭の雰囲気も悪くなってしまうと思いつとめて明るく振る舞ってきました☆」と言いました(^^)


これを聞いて女性はこの家族ではいつも母親がひとりで家族にふりかかる困難に対処してきたと悟りました(^.^)


母親が果たしている役割は間違っておらずよく頑張られたのだと感じましたがそれが過ぎると他の家族は母親ばかりあてにするようになるのです(^_^;


その結果的に精神的な不協和音に弱い家族を育てることになったのだと思った、と言います(^^)


そこで女性は「彼に許されていることはやがて兄弟も見て覚えていき同じことにならないとは言い切れないのです(^_^;


一般的に身に付けさせなくてはいけない感覚は特別な配慮の下に簡単になし崩しにすることも大切なのです_(._.)_」と話をしました★


そして「正しいことだけれど不協和音が鳴り響くそういうことが暮らしの中にありそれを絶えることも子供達に耐えさせることも両親のの力なのだと思います☆」と伝えたのです(^^)


すると目を伏せていた父親と兄弟も彼女の目を見ると話を聴いてくれただけで気持ちが楽になり自分達に欠けていることに気がつき母親だけではなく家族全員で見守っていくと約束をしてくれました、と女性は笑顔で話をしてくれました(^^)

子供、障がいをお持ちの方、高齢者、盲ろう者、家族と関わる中で自分のペースで話を進めるのではなく常に「笑顔」と「待つ」と言うことは大切なことであると改めて感じることができました(^O^)♪
世界中の誰もが分かってくれなくても自分を産んでくれて育ててくれた両親にだけは今の自分の気持ちを分かってくれたことで自分は自分のままでも良いのだと安心感を持てたのです☆彡

そして一番嬉しかったのは両親との関わり方で共に歩んで見守ってくれていたことが何より嬉しかったと言う彼の姿がありました(^-^)


32歳になる彼は社会に踏み出すことが出来ず誰とも接点を持てなかった彼が再び外の世界との接点を持てるようになるまで約5年と言う月日を要することになりました★


きっかけは大学卒業後は公務員になることを目指して2年連続で公務員試験を受けたのですが良い結果を得られず、その辺りから自分が何をやったら良いのか分からなくなり誰にも相談できず自信を失ってしまったことにありました★


その頃から彼は自分で何かを考えることができなくなっておりすべてを放棄してしまいたいような気持ちだったと振り返りました(._.)_


彼は両親のせいにするのは気が引けますが原因は両親の過干渉にあり両親は自分のすることに常に干渉し世話をやいていたのです、と話をしてくれました(>_<)

彼が誰とも接点を持てなくなった時も人との関わりあいを完全に拒否をする一方でご両親は彼にお小遣いを与え続けていました(..)


彼は働けずに誰とも接点を持てない状態からお小遣いを貰い続けると言うのは恥ずかしいと思う反面、その時は外聞もない状態でした(>_<)


しかし、そのお金があったおかげで時には好きな音楽のCD等を買いに外出ができたのです(^.^)


自転車でひとり街を走り回ることは彼にとっては貴重な息抜きの時間となっていたのです(^-^)


そんな中、社会と繋がりたいと言う気持ちも芽生え今の状況から脱するきっかけを探っていた彼はいつしか自分の将来を考えるようになっていました(^^)


そしてある時、市で青年グループを作っているのを知り、彼は勇気を振り絞り参加をしてみたい、と決断をしたのです(^-^)v


意を決して参加した青年グループには自分と同じような境遇の人達が集まっていたこともあり気軽に話をすることができ徐々に友達と呼べる仲間に出逢えたのです☆彡


これをきっかけに彼は社会との接点を持てるようになり彼は自分にできることから始めたいと感じたのです★


自分にできることを考えた時に自分と同じ境遇の人達に自分の経験を講演会で話をすることで人や社会と接点を持ちたいと思っている人やご家族に自分の体験を伝え何かを感じてもらえたら、と思ったと言います☆彡


また講演会だけではなく外に出られない人達のお宅に足を運び本人だけではなくご家族のお話も聴き時には様々な機関と連携をとりながら社会に出られるきっかけになれたら、と思い今、活動を始めようと準備をしている段階だと言います(^O^)


現在、彼に話を聴くと5年間の間、両親には心配や迷惑をたくさんかけましたが力ずくで無理やり引きずり出すようなことなく見守っていてくれたことが嬉しかった、と笑顔で話をしてくれました(^O^)


子供、障がいをお持ちの方、高齢者、盲ろう者、家族と関わる中で無駄な時間はなく月日が経つと良い思い出となることを知りました(^O^)


今は1日1日を明るく充実した日だったと思えるように何事にも前向きにチャレンジをして常に向上心をもちながらどうしたらさらに良くなるのかを考えることも大切なことだと感じました♪