ほいで来てみた淡墨桜。

例年めちめちゃ混むらしい


親の話によると

ある年は、

午前10時に家を出て、

着いたのが夕方。

桜への道は1車線で

車でしか行けんのだ


友だちの車で

家を朝6時半前に家を出たおかげで、

8時半頃には着いた


色いろなお土産物の屋台が並ぶ坂道を登ると、

大きな桜の木が見えてきた。

周りも桜並木に囲まれていたせいか、

最初はインパクトがなかったが、

よくよく見るとデカイ!

高さ9m、幅は枝の先まで含めると30mはあるだろうか・・・


無骨にうねった幹を、

可憐な淡い桜色の花が覆っていた。

ハー、来る途中でも見てきたけど、

3年ぶりの桜は何とも感慨深いなー。


そして、どんどん増えてくる人人。

たった一本の木を見るために

これだけの人が集まってくるのって、

多分、日本人だけだろう


友だちと

花を見ながら持ってきたパンを食べる

あ~、贅沢だなあ

傍らに埋め込んであった

碑文を見てさらに驚いた


なんでも昭和24年に

この桜が枯死寸前になった。

すべての根を掘り起こしてみたら、

ほとんどの根が腐りかけてて、

シロアリが群がっていたんだと。

そこで、

接木の名人で医者の前田利行という人が、

腐った根を全部取り去って、

変わりに山桜238本分の

根っこを接木したんだって


一本の彼岸桜のために

238本って・・・

一体どれだけの手間ひまと金が

かかったことだろう


この前田さんの読んだ歌が・・・


我が命譲るもなどか厭うまじ

三千歳までも生きよ淡墨


・・・この執念。

彼は

この桜に自分の命や人生を写していて、

この桜を生かすことで

自分自身をも永遠にしようとしていたんだろうか


もしくは

そうして自分の子や孫、子孫の

行く末を見守ろうとしていたのか


この淡墨にしろ、

荘川桜にしろ、

岐阜の桜には

とかく壮絶な話がつきまとう


こうした

桜にかける人びとの思い

を聞いた後で見ると、

また花の色も違って見える気がした


春・・・

帰国後初めて迎える春。


帰国してから早4カ月が経過したが、

日本の冬は長かった。


ツァボの年間30~40度の気温に慣れた体は、

未だ日本に適応せず。

まだまだ寒さに震えていても、

自転車で走りながら

視界の端に桜の花びらが踊りはじめると、

春を意識せざるを得ない


というわけで、

花見に出かけた。


ただ

今は東京にいないので、

千鳥が淵には行けない。

京都円山公園の枝垂を見に行く余裕もない


名古屋の近場で、

桜の名所と言えば、

日本三大名桜の一つ

岐阜県、根尾村(現:本須市根尾地区)の淡墨桜が浮かんだ。

よく日本画の画題にもされる樹齢1500年を超えると言われる

古桜だ




案内によると、

スワヒリ語教室の会場は

名古屋の繁華街「栄」近く、

どうやらマンションの一室のようだ。

テキスト代以外無料で、繁華街近くのマンションの一室・・・

後から考えてみれば、新興宗教関係か?

と思うくらい怪しい条件だが、

電話口の対応の印象からか、

不思議と不安はなかった。


名古屋は折からの雨。

行く先々で道を尋ねながら、

ようやくたどりついたマンションで、

同じエレベーターに乗ったおばさんは、

たまたま同じ教室の参加者だった。


その部屋の扉には

「スワヒリ語教室○○○」と、

白地に墨文字で書いてあった。

そのおばさんといっしょにお邪魔すると、

部屋にはすでに

生徒と思われるおばさんが数人

腰をかけていた。


どうやら誰もはじめてではないらしい。

いろいろ質問される。

K国の元K隊員だと分かると、

いろいろ質問ぜめにされた。

ちょっと久しぶりな感覚だ。


ほどなく、

新しい人も含めて6人ほどの生徒(?)が集まった。