最近まとめられた『鹿児島民俗聞書』という書籍のなかに、当時の茅葺き状況に関する箇所がいくつかありました。
鹿児島民俗聞書/慶友社



日本の中でいちはやく断絶してしまった鹿児島県の茅葺き屋根。その本来の姿(形状)を再現したいと望む私にとって、大変に参考になる資料でした。
以下は、そこからの抜粋です。


・鹿屋市細山田馬掛は約60戸の集落であるが、約5町歩の方限山(ほうぎりやま)がある。屋根葺き用の茅立野(=茅場※ブログ主註)は別に個人別に持っていた。毎年、冬になると方限山の野焼きをした。これをホサッといい、風のない日を選んで村人総出でおこなった。

・出水市大川内でも各集落ごとに共有林野を有していた。これをモチエといい、牛馬の秣(まぐさ)や屋根葺き用の茅を育てた。ここの高牟礼は約30戸であるが、茅場が約5町歩、牛馬用の秣場が約9町歩あった。

・旧郡山町花尾では、かつてトコロヨイ(所寄り)があった。正月7日に各小字の代表が集合して大字花尾に関することを協議した。ここで屋根葺き用の竹1本、茅1束の値段や田植えの賃金などを決めた。

・大崎町岡別府では屋根葺き職人のことをイブどんといい、川辺出身の人が多かった。イブどんの下には針刺しという助手のような若者が一人ついていた。イブどん2人、針刺し2人が組になって巡回してくるものであった。彼らは長柄の鎌など専用の道具をもっており、仕事もさばけたし仕上げも見事なものであった。完成祝いには粢(しとぎ)をまいた。夜の完成祝いには必ずコンニャク料理がでた。古い茅くずを吸い込んでいるのでこれを清めるために効果があるとされていた。

・大崎町野方曲(のがたまがり)は18戸の小さな集落であるが、職人を頼まず村のユイ(結)でおこなった。屋根バサミなども集落の費用で購入してあり、熟達した長老が4、5人いるので、この者たちの指示ですすめた。

・出水市田原は戸数が50戸くらいあるが、共有の茅立野が約15町あった。ここでも冬に野焼きをやり新しい茅を育て、翌年刈りとった、刈る日のことを山ン口あけといい、各家から2人ずつ出る義務があった。刈った茅を一ヶ所び集め、当年葺き替えをする家で分け合った。このやり方を毎年続けるので不公平は生じなかった。

・阿久根市高ノ口には屋根仕どんという屋根葺き専門の職人が10名くらいいた。年中仕事があるわけではないので、農業の片手間におこなっていた。

・指宿市池田下ン門にも立野という茅の共有地があり、5畝くらいに区画されていた。葺き替えを予定している家では10月20日までに集落会長に申し込むことになっていた。家が大きければ6セマチ(1セマチが5畝)申し込んだ。茅が不足することはほとんどなく、むしろ余るくらいであった。葺き替えは組のイイで行なった。

・肝属町高山岩屋の場合、昭和30年ごろまでイイエ(母屋)もほとんど茅屋根だった。どの家でも3段歩くらいの茅野をもっていた。このくらいの面積があれば、毎年葺き替えるわけではないので不足することはなかった。初霜のくる前に茅刈りをして、2月になると村人総出で野焼きをした。焼け跡にはワラビやキノコ類もでてくるし、牛馬の飼料となる草も芽生えてくるので良いこと尽くめであった

・茅屋根は耐用年数が15年くらいであったが、藁屋根は10年くらいしかもたなかった。鹿児島県は水田が少ないので、藁葺きにすることはあまりなかったようである。

・棟上げや屋根葺き替えの時に餅をまくところが多いが、これは新しいやり方で、古くは粢(しとぎ)をまいていた。


以上

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(写真は大正3年の桜島大噴火による降灰が注いだ黒神濱集落。茅葺き家屋)
九州に来てからというもの、お世話になりっぱなしの阿蘇産の茅(=ススキ)。
熊本県阿蘇の茅はいまや九州全体のカヤブキ業界を支える大黒柱となっています。
しかしあの壮大なススキの群生の風景も、実は大変な労力によって保たれていると聞きます。

茅刈りはもとより、毎年地元の保存団体やボランティアの方々の手によってきちんと野焼きが行われているからこそ、あのような良質な茅が生み出されている訳であり、それが九州の伝統文化の保存に太く直結している。そう言って間違いはありません。

そんな阿蘇のススキですが、昨年から「千年につながる草原再生」を掲げた大きなイベント『あそ千年祭』が催されています。
日本初の「草アート」というイベントも、そこで行なわれたようです。
今年も開催されるようなので、私も是非足を運びたいと思っています。

またこれとは別に、近々この阿蘇地域は、「千年の草原の継承と創造的活用総合特区」=「草原特区」に正式に決定すると言われています。

「阿蘇の草原の維持と持続的農業」が世界農業遺産に認定されました!
(熊本県ホームページより)

今後、上の動きが国内での「茅場・茅野の再生保存」の大きな流れをつくる契機となるかもしれません。
九州南部でも阿蘇の茅に頼ることなく、それぞれの土地の茅を使用した本来の地産地消の屋根葺きができたら最高だな、と常に思っています。


【昨年の「草アート」イベントの様子】
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(写真:共同通信さん記事http://prw.kyodonews.jp/opn/release/201209217071/より)

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(写真:朝日新聞デジタルさん記事http://www.asahi.com/news/intro/SEB201210260013.htmlより)


【参考:草アート2013】
日程:平成25年11月2日(土)
展示場所:月廻り公園、前原牧野



(Facebookの投稿に被りますが、)以前から一度見てみたかった「在来工法の家造り」の現場を見せていただく機会に恵まれました。
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(幟には「九州古民家 伝統工法研究会」とあります)


現場に到着して、最初に目に飛び込んできたのが2階東南部に突き出た月見台(テラス部分にあたる)です。
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軒の長さも、最近では見慣れないほど低く長い印象。


外壁には焼杉と漆喰が用いられるようです。


室内空間へ足を踏み入れると、現代のプリファブ住宅とは完全に一線を画した謎の安心感?に包まれる。

…厚み。

ヨーロッパの石造り住宅でもそうだと思うのですが、この厚みが必要だと思うのです。少なくとも私には。


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今回の設計と施工を担当している宮崎県の建築士事務所・きなるきなり代表の藤村氏によれば、

「今回は珍しく窓枠に現代サッシが用いられていますが、普段請け負うものは窓枠含めほぼすべて在来構法の建築です」という。

そんな伝統的な建築法の価値を分かる施主さんが他にもいらっしゃることに驚き、同時に嬉しさが込み上げる。

そしてそれに応えられる設計士さんがいて、大工さんがいる。

私の中にリスペクトの嵐が吹きまくる。


・ ・ ・ ・ ・ 

ちなみにここ姶良市加治木の現場ではこのあとも、見学会(体感会)やワークショップが予定されているようです。
滅多にない機会なので、私自身も色々参加して勉強させていただく予定です。
非常にたのしみです。