わずかばかりの田んぼですが

稲の始末にバタバタしててブログがおろそかになってます

 

この先の晴天が見込めないので、日曜にハサ架けした稲を作業小屋に取込みました

 

以前は牛の飼料とか藁細工の材料にするのに藁を買いに来る人もいましたが、今は需要がないので藁は敷材にする以外は積んで堆肥にしてます

だから乾いてなくても問題はないのです

 

湿気のある稲束を積みっぱなしだと熱を持つので、昨日は休養日にしたかったけど脱穀しました

 

ウチで一番の長老

昭和44年製造の佐藤の脱穀機

まだバリバリの現役です

 

 

そして今日は一日中乾燥機の子守をしてました

午前は通気循環だけ

雨降りで気温が低いから水分はほとんど下がりません

午後から31〜32℃で3時間で16.2%

 

 

この乾燥機も30年経過の年代物

マイコンはとうに壊れて手動操作で使ってます

 

 

 

 

天候に恵まれれば乾燥機を使わないで良かった年もありますが

こんなにフル活動の年も珍しい

目標の15%まで明日もう一日乾燥です

 

 

水分計は離農した知人からタダでもらいました

検定してないから値は信用できないけど

自家用だから大体でよかろう

 

 

 

こちらではまだコシヒカリが半分くらい残ってます

刈りたくても晴れない

刈取りの済んだ田を見ればぬかるみに悪戦苦闘の跡

ホント、農業は最初から最後まで天任せです

 

 

 

脱穀後の藁を積みました

ミミズが堆肥にしてくれるまで3年(右側)

2年目にはカブトムシも産卵に来ます

 

今日は「歳時記インデックス」の9月の季語から

「朝の露」を鑑賞しました

 

 

一句目

 

宝玉の 朝露を置く 蜘蛛の糸

 

田村幸子

璦 201102

 

 

 

 

 

二句目

 

醜草の 飾となりし 今朝の露

 

黒澤登美枝

峰 201411

 

 

 

今日のタイトル、「醜草」って何?

ということで、早速調べてみました

 

Wikiによれば、醜草(しこくさ)はシオンのことで、オニノシコグサ、ジュウゴヤソウ、オモイグサとも呼ばれるそうです

 

シオンは背丈ほどの大型のキク科植物ですが、まだ咲いていないので紫つながりで小柄な野紺菊の写真にしました

 

そのWiki解説の下に万葉集の歌があり、面白かったので紹介します

 

 

(余話)

と言いつつこっちがメインになってしまったウシシ

 

 

忘れ草 我(わ)が下紐(したひも)に 着(つ)けたれど

(しこ)の醜草(しこぐさ) 言(こと)にしありけり

(万727)

 

 

大伴家持が従妹であり後の正妻となる大伴坂上大嬢(おほをとめ)に送った歌だそうで

「あなたへの思いを断とうと忘れ草を私の下紐に付けたのだが、役立たずのいまいましい草め。忘れ草とは言葉だけのことだった。」

 

ここでの「しこ」は「悪い・嫌な」といった意味

 

また、一方では

「忘れ草をパンツの紐に付けていたら、パンツの紐を解くこと自体を忘れさせるほどに強力な草であったから、全然浮気をすることはなかった。一途にあなたのことを思い続けていたのです。」

 

といった解釈もありましたゲラゲラ

ここでの「しこ」は「頑強な・しぶとい」くらいの意味

 

ですから、この歌での「醜草」はシオンではなく、「ののしり」の表現と見るのが自然なようです

なお、この歌の「忘れ草」はヤブカンゾウのことを言うとされています

 

いずれにしろ、「あなたを忘れようとしたけど忘れることなどできませんでした」といったラブレターですね

 

紹介した句がこの家持の歌を踏まえてのものなのかどうかは分かりませんけど、そうだと思えばまた一味違いますニコ

 

 

 

 

「まことに小さい声ですが」

 

その書き出しで始まるブログを、私は静かに愛読していました。

と言っても知ったのは今年の2月頃のことで、多くの記事を読んだわけではありません。

 

しばらくして、

「少々体調を崩したのでブログをお休みします」

という挨拶がありました。通算433号目の記事でした。

 

そして9月7日、ブログが更新され、

「木割大雄は8月30日に入院先の病院にて安らかな眠りにつきました」

と、関係者かご親族かわかりませんが、ご報告がありました。

 

私は木割さんのことを、アメブロの最近の記事以外ほとんど知りませんでした。

小中学生に俳句を教えている、優しい“爺ちゃん先生”というイメージで読んでいました。

 

ところが経歴をみると、関西ではよく知られた方だったようで、驚きました。

以下に、AIに調べてもらったプロフィールを紹介します。

 

 

 

木割大雄(きわり だいゆう)

・1938年 兵庫県西宮市生まれ

・20代で俳句と出会い、前衛俳句の第一人者「赤尾兜子」に師事

・商社勤務を退職後、尼崎で書店を経営しながら俳諧生活へ

・1984〜1996年の13年間、スポニチ紙で「虎酔」の俳号によりタイガース俳句を連載

 → 約2000句に及ぶ長期連載で全国的に知られる存在に

・JR西日本と協力し「たんたん列車」俳句紀行を6回実施

・キリンビール尼崎工場で「麒麟亭」イベントを8年間開催

 → 落語・文楽・クラシックなど多彩な文化イベントを企画し、「下町のプロデューサー」と呼ばれる

・兵庫県伊丹市教育特区「ことば科」特別講師(2006〜)

 → 小中学校で俳句授業を行い、子どもたちに言葉の大切さを伝える活動

・沖縄文化にも深い関心

 → 関西沖縄文化研究会理事として、戦争と沖縄を考えるイベントを企画

 

 

 

 

 

このように、木割大雄さんは

俳句・地域文化・教育の三つの領域で大きな足跡を残した、温かく情熱的な文化人だったことを知りました。

 

私は本人の俳句を直接は存じませんが、ブログで紹介される句への穏やかな語り口、そして子どもたちへの愛情あふれる文章に触れ、一人のファンとして楽しく読ませていただきました。

 

今、あらためていくつかの前ブログを読み返して、本人作の句が目にとまったので紹介します。

 

透明なガラスよ水よ金魚の死

 

そこには「生かされている屑金魚は、私かもしれない」とありました。

 

享年87歳だったそうです。

もうブログを読めなくなるのは残念ですが、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 

京都から帰った翌日から雨模様の日が続き、稲刈り時期を迎えた弱腰コシヒカリは倒れ始めています

まだ青みの残ったもみが多少あり、本当は10日過ぎが良い感じなんだけど、天気予報ではずっと晴れの日は無し

 

濡れた稲でも刈れるバインダーとはいえ、稲束は重いし暑いし気分的に滅入る

だから、この土日が晴れたのでエィヤッと刈ってしまいました

きれいさっぱり片づいた田んぼを見るとヤレヤレって感じほっこり

 

 

昨夜からの雨で田面が濡れています

これで6俵(360㎏)くらいです

 

 

ひと仕事終えて時間に余裕ができたので

久しぶりにひとりよがりの俳句鑑賞しましたウシシ

季語は木槿、稲穂、蟷螂の5句です

 

 

 

 

 

みづからの

時追ひて逝く

夕木槿

 

丸山海道

京鹿子  199811

 

自分に与えられた短い時間を静かに受け入れて、

その「時」に従って去っていく姿

(写真は夕日ではなく朝日ですが)

 

 

 

 

 

紅木槿

他言無用の

筆穂散り

 

松本鷹根

京鹿子  200510

 

紅い木槿が咲いている

あのことは誰にも言ってはいけないよ

文字にする筆の穂さえ散ってしまったし・・・

(筆穂の解釈がわかりません)

 

 

 

 

 

日めくりの

八分ほど減り

稲穂垂る

 

伊藤希眸

京鹿子 202011

 

ああ、すっかり秋だなぁ・・・

稔りの喜びと過ぎてしまった時間の寂しさ

 

 

 

 

 

稲穂垂る

国のかたちの

見ゆるごと

 

高浜虚子

 

稔る稲穂が国の豊かさの象徴だった

そんな遠き良き時代へのノスタルジー

 

 

 

 

 

カマキリと

思っていたら

宇宙人

 

千坂希妙

船団 201602

 

ユーモアと哲学のまざりあったような、

子どものような感性にイイネ

 

3日目午前

 

ずいぶんと引張りましたが、これで今年の京都の庭巡りは終わりです

まだまだ観てみたいたくさんの庭は次回以降の楽しみにしておきます

 

庭園情報サイトを見ると滋賀県の庭も見どころが多かったので、

帰りがけに寄ってきた2か所を紹介します

 

1か所目は米原駅近くの青岸寺です

 

 

 

お寺の概要をパンフレットから要約しました

吸湖山青岸寺は、南北朝延文年間に当地にあって兵火で焼失した米泉寺の聖観音像を本尊として、江戸時代慶安年間に建立された曹洞宗の寺院です

庭園は観音さまの住む補陀落山の世界を枯山水様式で表していて、国指定の名勝庭園となっています

 

お寺の住職によれば昭和9年に重森三玲の強い推薦を受けて、滋賀県で最初に名勝庭園に登録された庭園のひとつだそうです

 

 

前庭の百日紅の大きな木が見事でした

手前には小さなお地蔵さん

 

 

 

書院から眺めた庭

ひときわ目を引くのが三尊石と観音菩薩石

 

 

右側に飾られているのはアート作家小山恭史(おやまやすふみ)の「無明-東京」という作品で、別の部屋に同じシリーズの作品がもうひとつありました

禅寺と現代アート、良いですね

また、玄関を入ったところにカフェがあって住職自らコーヒーを淹れてくれます

 

 

 

右奥に三尊石、中央に松の植わった蓬莱島

 

 

 

常時は水が無く苔で被われた枯山水の池ですが、

雨が続くと地下水が伏流水となって溢れ出て池泉庭園になるそうです

 

 

 

 

最後の締めくくりは長浜市の浄土真宗大通寺です

正確に言えば、真宗大谷派長浜別院無礙智山大通寺となります

行ってみて驚いたのがその規模の大きさでした

 

 

大通寺山門

 

 

パンフレットを読めば、「元々は伏見城の一部を大谷派本願寺の御影堂として移築してあったものを、さらに寛永年間に本山から譲り受け本堂とした」とあるので納得

 

なお、別院とは本山直属の寺院ですが、長浜別院は歴史的経緯からさらに格式の高い「別格別院」とされています

(イメージ的には他宗派の門跡寺院みたいな? ちょっと違うか)

 

背景にあったのは真宗王国とよばれた近江国の信仰心篤い人々の数と財力でしょう

 

 

山門から見た本堂

 

 

私は庭園の拝観に来たので、迷路のような廊下をたどって庭を探しました

ひと回りして気がつかなかったので受付に戻って聞いたら、お嬢さんがわざわざ案内してくれました

それが「蘭亭庭園」でした

 

 

江戸初期の枯山水庭園

 

 

坪庭ほどのスペースに小さな枯池と築山・石橋・枯滝石組

 

 

 

でもなんかパンフレットと違うので、もう一度順路を廻って「含山軒」と呼ばれる部屋を見つけて中に入り、

障子戸を開けるとそこに「含山軒庭園」がありました

(頼まれて臨時に座っていたと思われる受付嬢は知らなかったかな)

 

 

同じく江戸初期の枯山水庭園、蘭亭庭園よりは広い

木が育って借景の伊吹山が見えにくくなっている

枯池は元は石が敷かれていたようだが、今は土

 

 

築山に枯滝石組、手前の大きな石は不動石

 

 

ふたつの庭園とも江戸時代初期の枯山水庭園で国指定の名勝です

拝観した感想は、ちょっと手入れが行き届いてないかな、庭園の見せ方も工夫したほうが良いかな

そんなことを感じました真顔

 

でも考えてみれば禅寺の庭は修行の場そのものであるのに対して、浄土真宗は庭に重きを置いていない

お堂(阿弥陀如来)の護持が最優先だから、庭にはお金をかけられないってことなのでしょう

それに文化財である多くの襖絵や障壁画、調度品などの維持も大変ですし

 

 

外に出れば豊臣兄弟の大河ドラマ館が目につきましたが、パスしました

(テレビ観てないし)イヒ

門前のおみやげ屋さんでソフトクリームを食べながら小休止のあと、長浜ICから高速に乗って帰路につきました

 

 

以上で庭園巡りの記録メモは終わります

長々と退屈な記事におつきあいいただきありがとうございましたニコ

8/25(火)後半

 

大徳寺龍源院の次は曼殊院門跡に向かいました

途中で皆さんのブログに良く出てくる府立植物園の標識が見えたので入口まで行ってみました

中には入りませんでしたが、園内は広そうなのでじっくり見るなら一日がかりでしょうか

 

白川通を横切り曼殊院へ向かう道は山沿いの住宅街の狭い道でした

幸い対向車には合わなかったので良かったですが、紅葉シーズンに車で行くのは大変でしょう

 

 

 

 

「門跡」(もんぜき、もんせき)は、皇族・公家ゆかりの寺格が高いといわれる寺院

現在の建物や庭園は江戸時代初期に八条宮家の良尚法親王が整えたとされています

庭の雰囲気は枯山水ぽい宮廷庭園でツツジやモミジの名所みたいですね

 

 

柱の方向の奥が蓬莱連山と滝石・橋石・水分石

(遠くて見えませんね)

 

 

 

中央が亀島、右側に鶴島

 

 

 

 

五葉松を鶴に見立てた鶴島

 

 

 

「フクロウの手水鉢」

 

 

 

 

2022年に宸殿再建に合わせ、前庭「盲亀浮木の庭(もうきふぼくのにわ)」を整備

天皇皇后両陛下行幸啓記念樹、右に橘、左に豆桜(状態がヤバそうだった)

奥の石組は「百年に一度息継ぎのために海面に頭を出した目の見えない亀」との説明書き

 

 

 

曼殊院からの下り坂も対向車が上って来なかったので無事に広い通りに出ました

次はいよいよ重森三玲庭園美術館ですが、予約の午後2時までは時間があったので

近くの吉田神社参道の広いスペースに車を停めさせてもらって、境内をひと回りしてきました

 

 

鳥居の先が吉田神社本殿

 

 

境内にあった「さざれ石」

 

石段を上って本宮に参拝したあと、境内図を見ると他にも多くの摂社末社があるので、さらに上ってみました

中にはお菓子の神様や料理の神様が祀られている社もありました

 

 

菓祖神社

 

5分ほど歩くと「斎場所大元宮」という茅葺き屋根の多角形の社があり、これが元の本宮らしい

 

 

ここには諸国の神々が祀られていて、「大元宮にお参りすれば全国の神社をお参りしたのと同じご利益がある」とされています(詳細は下記メモに)

 

 

【吉田神社について勉強しました】

 

吉田神社は、平安時代、藤原山蔭が清和天皇の平安京鎮護と一族の繁栄を祈願し、奈良の春日大社から神々をこの地に勧請して創建したのが始まりとされています。

 

室町時代には、ここで創始された「吉田神道(唯一神道)」の中心地となりました。

江戸時代に入ると、吉田神道は幕府の信任(相互の利害が合致)を得て「自らを全国の神社・神職の最高権威である」と位置づけ、全国の神社を統括して神職へ免状を発行することで強い影響力を持ちました。

ただし、伊勢神宮など朝廷祭祀の核となる古社に対する武家政権の干渉は政治的に危険だったので除かれています。

 

その後、明治時代になると政府は「国家神道」体制を整えるため、特定の家系や教派が全国の神社を支配する仕組みを廃止します。神道の中心は伊勢神宮と国家に一元化され、吉田家が保持していた神職の任命権や各種認可権はすべて無くなりました。

 

太平洋戦争後、日本の神社は新設された宗教法人「神社本庁」のもとに包括されることとなり、現在、吉田神社は一地域の神社としてその歴史を今に伝えています。

 

時の流れによる栄枯盛衰があり、なかなか興味深い神社の歴史でした

 

 

 

さて、時間になったので重森三玲庭園美術館に向かいます

本日午後の拝観予約は3組6名でした

重森三玲のお孫さんである重森三明館長から直々に建物や庭の解説をしていただきました

 

 

 

 

正直、松尾大社の庭を観てきたあとだったので、住宅地にある個人庭はスケール感が違いましたが、そこは茶を楽しみながら日々眺めていた生活とともにあった庭であり、こじんまりとまとめられた飽きのこない空間でした

 

 

 

 

 

庭のスタイルはまさしく三玲流で高価な「阿波の青石」がふんだんに使われています

なお、建物は江戸中期に建てられた吉田神社の社家である鈴鹿家の住宅とのこと

三玲はそれを譲り受け、昭和50年に78歳で亡くなるまでの32年間を家族とともに暮らしました

 

 

 

 

平たい大きな石は「礼拝石」で、三玲が移り住む前からあったもので、神職がここに立って吉田神社を拝んだそうです

 

 

 

 

 

この庭を再度訪れることはないと思いますが、百聞は一見にしかずということで

重森三玲という人物に少しだけ近づけた気がします

 

 

時間的にはもう一ヵ所くらい廻れそうだったけど、暑いので車に戻って、そのまま次の米原に向かいました

 

3日目へつづく

 

※写真はすべてオリジナルですが、吉田神社と重森三玲美術館の添付写真に「made wIth  AI」と文字が入ってます。Windows 標準装備のCopilotに画質調整を頼んだら偉そうにAI作になりました えー?

 

8/25(火)前半

 

2日目は京都市内に入って松尾(まつのお)大社からです

いただいたパンフレットには「洛西総氏神・醸造祖神 松尾さん」とあります

 

ここは京都最古の神社で、平安時代から室町末期には権威と富を得て大いに栄えたようです

御神徳はおしなべて御利益がありそうですが、特に全国の酒造関係者(味噌・醤油・酢なども)の信仰の拠り所となっているのが特徴となっています

 

洋酒の樽もありますね

 

 

この神社の庭園は重森三玲最晩年の絶作で「明治以降における現代最高の芸術的作品」と評されています

 

 

曲水の庭(平安風)

奈良・平安期の曲水式庭園を範とした構成

 

 

庭の左側からの眺め

 

 

庭の右側からの眺め

サツキの咲く頃は一層美しいでしょう

 

 

 

 

上古の庭(古神道風)

松尾山中の磐座(いわくら=神の宿る巨石)をイメージ

 

 

植栽は苔でもサツキでもなく笹であり、神々の宿る高山の趣

 

 

上古の庭を横から眺めるとまた感じが違う

いつかの山のどこかで見たような岩の塊

 

 

 

 

蓬莱の庭(鎌倉風)

古典的石組と現代的手法を融合し、

蓬莱神仙の世界を表す池泉庭園

 

 

この庭は三玲が形を指示し、長男の完途がその遺志を継ぎ作庭

池の左側

 

 

池の右側

 

 

池の左端からの全景

 

 

左端には滝組みもあります

 

 

一角には孫の千靑さんによる枯山水庭園もあるとのこと

(これのことかな?)

 

 

 

 

即興の庭

当初計画にはなかった空間に息子の完途が即興的に作庭

 

 

 

 

 

 

 

次は大徳寺塔頭の龍源院に向かいます

大徳寺には昨年も寄ってまして、

かの有名な「庭の国宝」大仙院の枯山水と瑞峯院(大伴宗麟創建、重森三玲作庭)は拝観しましたが、隣の龍源院は時間の関係でパスしたのです

 

 

 

 

 

室町時代に相阿弥が作庭した「竜吟庭」

 

中央の突出する石は須弥山を表す

 

 

 

「阿吽の石庭」とも言われる坪庭

 

右に「阿」の石、左に「吽」の石

(よくわからんけど)

 

 

 

日本最小の石庭「東滴壺」

 

「底知れぬ深渕に吸い込まれそうな感じがする」

との解説

 

反対側から

(強い陽射しの白トビ修正前)

 

 

 

主庭となる方丈前庭「一枝担」

 

手前左に亀島、右に鶴島、奥には蓬莱山

 

 

 

大徳寺には塔頭寺院が多いですが、ほとんどが常時拝観できないので、特別公開のタイミングが合えばまた来てみたいお寺もありますニコ

 

 

2日目後半へつづく

 

8/24(月)後半

 

福知山をあとにしてR176を南下して次の目的地の丹波市に向かいます

 

 

高野山真言宗鎌倉山清薗寺(せいおんじ)仁王門

飛鳥時代の586年創建と伝わる丹波の古刹

 

 

 

 

持仏堂への参道

 

 

 

 

反対側から

 

 

 

 

持仏堂前の枯山水庭園は江戸時代後期の築庭

二色の敷砂は比較的近年の趣向か

 

 

 

 

塀の高さを低くして外景を取り入れた借景式庭園

 

 

 

 

作庭者は時の住職と伝わる

奥に枯滝石組、手前に十六羅漢式石組

 

 

 

 

何故かトトロの石像(かなりデカい)

 

 

 

 

 

次は清薗寺からそう遠くない場所にある石像寺です

ここには重森三玲作庭の枯山水庭園「四神相応の庭」があります

 

 

背後に磐座の山を抱えた曹洞宗石像寺

飛鳥時代の655年に開基が創建したと伝わる名刹

 

 

 

 

本堂前の庭は四色の砂で区切られている

 

 

 

 

手前、右は玄武(亀・木)、左は青龍(水)

奥の右は白虎(金)、左は朱雀(鵬・火)を表現

 

 

 

 

手前は白虎、後ろは朱雀

竹垣には遊び心か四・神の文字

 

 

 

 

隣にある塀に囲まれた「霧海の庭」右端

 

 

 

 

「霧海の庭」中央部

 

 

 

 

「霧海の庭」左端

ちなみに石の配列は5・7・5

 

 

 

石像寺では2014年の豪雨時に裏山が崩壊し、本堂や庭園に土砂が流入したそうです

それを3年の歳月をかけて元の状態に修復したのですが

その過程では大変な苦労があったことと思います

 

写真では見えませんが、裏山には神聖な磐座(いわくら)の巨石が天に聳えていて

その下には人工の磐座とも言える多くの砂防堰堤群が連なっています

 

 

2日目につづく

 

稲刈り前の空いた時間に京都の庭巡りに行ってきました

夏休みも終盤だし、気温は35℃超えの暑い日だったから、

いずこの庭園も貸切状態でゆっくり観させてもらいました

 

もっとも、私の興味は庭メイン、しかも枯山水ですから混雑するわけがない

仏像、書画などは撮影禁止が多いですし、見てもすぐに忘れるからほぼ通過です

 

ただ、写真的には真昼のカンカン照りで明暗差が大きいので

自分の腕では難しすぎて、単なる記録写真になってしまったのは残念(わかってたけど)

 

なんせ、RAWで撮るとか露出補正だとか後で調整するとか、

面倒なことは億劫になってしまって、ただカメラまかせにシャッターを押すだけですので

(正直に言うと、白トビした空の色はAIに修正してもらいました)

 

そんなんで写真は置いといて、

ヤセ我慢じゃないけど今年も京都の暑さを十分楽しませてもらった三日間でした

 

以下に何回かに小出しにして記録メモを残しておきます

 

 

8/24(月)その1

 

今年の夏の庭巡りは福知山市の医王山長安寺からスタートです

この寺は「臨済宗南禅寺派別格地」とパンフレットに書いてあります

 

参道はモミジが多く植えられ秋には「丹波のもみじ寺」として賑わう

 

 

 

 

石段の上り口に句碑がありました

右に汀子、左に廣太郎の稲畑親子

ここで「ホトトギス」の句会が開かれたようです

 

 

 

 

薬師三尊四十九燈の庭(右側)

ここの庭は重森三玲の長男の完途氏(1923~1992)作庭

 

 

 

 

 

方丈前の主庭を右から

 

 

 

同じく左から

 

 

 

 

石畳の通路の反対側

 

 

 

 

同じく梵鐘横から方丈を向いて

 

 

 

 

 

開山堂への上り石段横の庭園

 

 

 

昼食に長安寺の近くの国道沿いにあった出石そばを食べたあと、

せっかくだから福知山城に上ってみました

(竹田城の選択肢もあったけど、暑すぎるし雲海の時間じゃないからヤメ)

 

 

 

明智光秀が築いた福知山城(昭和の再建)

手前に写ってる四角の構造物は深さ50mの井戸

 

 

 

 

石垣は築城当時のもので400年以上経過

震度7に耐えられるかな

 

 

急いで造ったか転用石が多い(墓石も?)

 

 

 

最上階からの眺め

由良川に架かるアーチ橋と烏ヶ岳(だと思う)

 

 

 

 

 

福知山城に近い洋菓子店の京都本店

 

 

 

 

国登録有形文化財である旧家を店舗利用しているので、こんな部屋も

 

 

 

次回につづく

去年は7月の暑い日に京都周辺の庭園巡りをしました

メインは重森三玲氏作庭の枯山水鑑賞でした


往復の時間を除けば正味2日半で周辺の庭も含めて18ヶ所の駆け足旅行で
京都市内に限って言えば

渉成園、東福寺本坊、同光明院、青蓮院、南禅寺方丈、同天授庵、真如堂、正伝寺、しょうざん北庭、大徳寺大仙院、同瑞峯院、妙心寺退蔵院の12ヶ所です


今回は今日から3日間になります
同じく重森三玲氏の庭巡り第二部ですが、一番見たいのは本人の邸宅の庭である「重森三玲庭園美術館」です
巡礼コースは京都府でも北の福知山からスタートして、京都市内を経由して、滋賀県の米原、長浜の神社、寺院を巡ってきます
今日は上越ICを4時前に通過して高速の深夜割引で福知山ICまで430km走ってきました
10時に長安寺の庭園を拝観して、ついでに福知山城を観て、丹波市の清薗寺と石像寺を経て、去年観た住吉神社のある丹波篠山市に泊まっています
今年も暑い京都になりますが人が少なくてグッド📷️✌️
写真は家に戻ってからボチボチと整理します
とりあえずのお知らせでした😊