ふと気がつけば庭のグミが熟している

つまんで食べてみれば甘酸っぱい懐かしい味がする

一つ一つは面倒なので掌一杯を一気に頬張り勢いよく種を飛ばす

 

 

 

 

俳句の世界では茱萸(ぐみ)は秋の季語とされているようです

当地でも秋に小粒の秋茱萸を見ますが、今頃には大粒の夏茱萸が実ります

この地域だけかもしれませんが、それを「たわらぐみ」と呼んでます

 

子どもの頃、自分の家にはその木が無くて、よその家にたわわに実っているのを羨ましく眺めていました

時には悪ガキどもが無断でいただいてましたが、当家も黙認してくれてたようです

 

ほかにも、口を真っ赤に染めて桑の実桜の実(サクランボではない)も食べましたね

あとはスイバイタドリツバナ(チガヤの穂)など学校帰りには文字通り道草を食ってた野生児でした もぐもぐ音譜

 

 

 

【今日の一句】

 

茱萸の句を三句選ばせてもらいました

写真は今頃、季節は「夏」ですが悪しからず

 

 

 

庭の茱萸

とる子なければ

たわわなる

 

富安風生

 

 

 

 

 

 

かたつむり

南風茱萸に

つよかりき

 

飯田蛇笏

 

 

 

 

 

 

茱萸は黄に

乙女めくなり

吾がちぶさ

 

三橋鷹女

 

今日の写真は水田の転作で植えられた麦です

他の県の事情は分かりませんが、新潟では転作作物として圧倒的に多いのが主食用以外の「米」です

2位は枝豆を含む大豆で、麦や蕎麦はさほど多くはありません

麦が少ない理由は、粘土質の水はけの悪い土地では育ちにくいからなのでしょう

私も大麦、小麦とも未経験です(麦用の機械もありませんし)

大麦は六条大麦が多く、主に麦茶や味噌などの加工用に使われるようです

 

梅雨入り前になると、日に日に緑が濃くなる水田と対照的に、急に色づいた一画が現れて麦の存在を知らされます

(1枚目の写真は麦作の多い富山県で撮りました)

 

 

 

【今日の一句】

 

いつもの俳句の歳時記から

「麦の秋」を四句紹介します

 

 

 

 

ひとりつ子

嫁すと決めての

麦の秋

 

頓所友枝

沖 199907

 

 

 

 

 

青雲は

何処ぞ麦の

秋を行く

 

戸村よねこ

遠嶺 200808

 

 

 

 

 

こんなこと

あつた気がして

麦の秋

 

竹田ひろ子

ろんど   201409

 

 

 

 

 

運不運

程ほどに受け

麦の秋

 

中本吉信

璦     201009

 

10年以上前から新潟県では田植えの期間がダラダラと長くなる傾向にあります

以前、兼業農家は休暇の取りやすいGWの頃に田植えを行ったものです

それが夏の高温障害による品質低下を防ぐために、5月半ば以降の田植えが強力に推奨されるようになりました(コシヒカリの場合)

 

 

個人的には2週間の違いがどれほどのものかと思いますし、田植時期以上に高温・少雨や豪雨が常態化していることのほうが深刻だと思ってます(新潟ではコシヒカリが作れなくなる?)

 

先進的な農家ではコシヒカリのブランドにはこだわらず、8月の盆過ぎには刈取りを行う早生品種や、秋の終わりまで刈残っている晩生の飼料用米なども作付けしています

品種の多様化は大規模農家の作業時間の分散のためでもあります

 

それと、近年は田植えを行わずに種籾を直接播種する乾田直播も増えています

前年の秋に整地したまま、春には耕起も代掻きも育苗もせずに、田植の代わりに籾蒔きをするだけだから労働力は格段に減ります

(写真はありません)

 

 

田植えにかかわらず稲作の営農形態は今後も変化していくでしょう

従って稲作に関する俳句の季語には、過去の情景であったり季節感がずれてしまったものもあるでしょう(それは米作り以外でも多方面で)

俳句の季語は永遠に不滅なのか、変化していくものなのか、素人には分かりませんがどうなんでしょうね

 

と言うことで、いずれは見られなくなるかもしれない田植作業を惜しんで何句か紹介します

(写真はいずれも田植作業じゃなくて田植え後の田んぼですイヒ)

 

 

 

日を映し

風を映して

植田水

 

志賀白雲子

百鳥 200109

 

 

 

 

 

 

身の支へ

欲し一望の

植田水

 

鷹羽狩行

狩 200307

 

 

 

 

 

老いたりな

田植機真直ぐ

進まざり

 

岸本林立

雨月 200209

 

(ワシも歳だし、そろそろ運転免許返納かな・・・)

 

(そして翌年には)

 

さびしげに

田植見てをり

杖の人

 

伊藤セキ

酸漿 200610

 

 

(さらに一句)

 

田植機の

さばき見事な

媼かな

 

田中矢水

遠嶺     200109

 

(車に比べればゆっくりだから楽、要はセンスの問題ね)

 

 

 

 

(最後に特別ゲストのアメブロブロガーより)

 

 

 

あどけなや

風へ手を振る

早苗かな

 

Osusinosu

「はい一句」 2026.05.28

 

同日にもうひとつスケールの大きな句が載っていたのですが、残念ながら「銀色」を表現できる写真がみつからなかったので、句のみ紹介させていただきます

 

曇天を

飲み干す銀の

植田かな

今日は俳句のネタ切れなので簡単にウシシ

 

 

ジキタリスの蕾を撮っていたらメタリックな緑色の小さな昆虫がいた

(正確に言うと、写真にしてから気づいた)

 

タマムシのように色のグラデーションはないが、全身光沢のある銀緑色

今までも近くにいたのだろうけど、気にもとめなかっただけなのかもしれない

 

調べてみれば「アオハムシダマシ」という変な名の虫でマニアの間では有名な甲虫らしい

この虫を見ていると何故こんな綺麗な色なのか不思議

キミは自分がこんな派手な色だと自覚しているのかいと聞いてみたい

 

ファーブル先生「見ることは知ること」と言っている

生き物の形や色や生態が何故そうあらねばならないのかと考えると、生物の進化って興味深い

今はAI全盛の時代だから何でもAIに聞いたほうが手っ取り早いけれど、自分であれこれ思いを巡らすのも面白いキラキラ

 

 

今日のひと言

 

多くを学ぶより

創造するほうが優る

創造は人生の根底なり

 

ファーブル

 

上越市の山間地には棚田が連なっています

「日本の棚田百選」に選ばれるほどの著名な棚田群はありませんが、

谷筋や緩傾斜地は人力により拓かれた棚田で埋め尽くされていました(過去形)

 

 

かつて、家族労働に支えられた山間地の稲作は地域の基幹産業であり、

終戦から高度経済成長期の国民の胃袋を満たすことに貢献してきました

 

 

時は流れ、昭和40年代中頃から米が余り出して、生産調整が行われるようになり

水利条件や作業効率の悪い田から徐々に管理保全と称した耕作放棄地が広がっていきました

(豪雪地のハンデから果樹やハウス園芸への転換は難しい)

 

 

稲作だけでは家族を養えず、かといって勤務先が役場か農協しかなければ、必然的に子や孫は家を離れざるをえません

それでも地域に残った老農家はプライドをもって田を護り続けてきました

それが家長の務めだったわけですが、さすがに年齢的に限界がきています

 

 

地域を廻ると、棚田の景色が年々変わっていくことに驚きます

写真に残したかつての美田はほとんどが二度と見ることができなくなりました

 

私も気持的には「土を護る者」でありたいと願うものの、明日は我が身

やれるところまでやったら田んぼに感謝しつつ永の休息に入ってもらうことにします

 

 

 

 

【今日の一句】

 

 

(たがやし)

幾世重ねし

土の色 

 

 隅田恵子

雨月 200506

 

 

 

 

 

青田風

休耕田に

消えにけり

 

佐野幸子

百鳥 200410

 

 

 

田植えが終わって草刈りも一巡したので近場の散策に出かけました

今頃はネマガリタケのシーズンだけど、熊のこともあって今年は山に入っていません

かつてはリュックに背負うほど採ってきて瓶詰にしたこともありますが、ムカシのことです

 

 

当地でも熊が人里近くに頻繁に出没するようになったし、ネマガリタケのタケノコは熊の好物でもあるらしいから、もうタケノコ採りに山に入ることもないでしょう

近くの直売所で一握り買ってきて、年に一度タケノコ汁を味わうだけでいいかなと思ってます

 

 

そんなんで、山の散策とは言っても車の移動がほとんどになります

良く出かけるのは妙高~北信方面

赤倉、燕、池の平、笹ヶ峰、戸隠、斑尾などが多いです

 

 

まだ梅雨入りはしていませんが写真的には雨とか霧の日のしっとり感が好きです

でも、せっかくでかけるのだから爽やかな青空のほうが気持ちが良い

どちらの天候を優先するかと自問すれば、近ごろは後者ですね ウシシ

 

 

 

 

 

【今日の一句】

 

いつもの「歳時記」インデックス「滝」より二句

 

 

天霧らふ

樹々の奥より

滝こだま

 

 渡邊牢晴 雨月 200009

 

 

 

 

 

 

 

渾身の

水のちからを

滝という

 

木村和彦 海程 200111

 

 

今日は久しぶりに終日雨模様

晴天が続いて乾ききった畑の野菜には恵の雨になりました

今が盛りの庭のバラは雨に濡れて重たげにうなだれていますが、水滴を乗せた葉や潤った根は喜んでいることでしょう

今年はカラ梅雨にならずに適度に降ってくれますように!

 

今日の俳句鑑賞は野の花と昆虫を4句です

 

 

 

 

野の蜂や

夢に夢継ぐ

羽の色

 

永田耕衣

ながたこうい、1900~1997

兵庫県尾上村出身の俳人

禅的思想に導かれた独自の理念に基づき句作

諸芸に通じ書画にも個性を発揮

 

 

写真はアザミの花とホバリングするミツバチ

(ミツバチにしては触角が長いので、調べたらニッポンヒゲナガハナバチのメスかも)

 

 

 

 

 

虻の縞

蜂よりも濃く

あざやかに

 

右城暮石

うしろぼせき、1899~1995

高知県本山町出身の俳人

穏やかな目線で小動物を扱った句が多い

 

 

写真はコウリンタンポポとヒラタアブ

子どもの頃、コウリンタンポポとオオキンケイギクは見たことなかったですが、今はいたるところで増殖しています

 

 

 

 

 

君や蝶

我や荘子が

夢心

 

松尾芭蕉

 

荘子の「胡蝶の夢」を踏まえ、芭蕉は詠みました

もしや君は荘子が夢の中で見た蝶ではないか

そうだとすると私は蝶が夢の中で見た荘子だということになる

まるで夢を見ているようだ

 

 

 

 

 

芭蕉の句をもうひとつ

椹や

花なき蝶の

世捨酒

 

蝶が花の無い時期に桑の実で蜜を吸っている様子が

世を捨てて孤独に過ごしている芭蕉自身を象徴しているとの解釈

「椹」は樹木の「サワラ」とも読みますがこの場合は「桑の実」

桑の実の写真がなかったのでチョウジソウでイヒ

 

 

 

幼年期のこどもは生き物が大好き

それが昆虫でも魚でも動物でも動くものすべてに興味津々

これは何を捕まえたのだろう

オタマジャクシかアマガエルか、それともメダカかザリガニか

 

 

 

 

こどもは成長するに従って興味の対象が広がり

やがて生き物に対する本能的とも思える執着が薄れていく

そして、今の世の中は人間の成長の速さを上回るスピードで変化しているから

時代の流れに乗るには多くのものを犠牲にしなければならない

でも、純粋無垢な感性は大人になっても心の中に残しておいて欲しいと思う

 

 

 

 

 

【今日のひとこと】

 

おとなは だれも

はじめは子どもだった

しかし

そのことを忘れずにいるおとなは

いくらもいない

 

「星の王子さま」 サン・テグジュペリ

 

 

 

メダカもいます

 

 

いかにして契りおきけむ白菊を

都忘れと名づくるも憂し

 

順徳天皇

 

 

「どんな運命なのだろうか 白菊に都忘れと名前を付けても心の憂いは晴れないままだ」

 

承久の乱に敗れ佐渡に流された順徳天皇は、父である後鳥羽上皇が好んだ白菊に似た花を都忘れと名付け、都への想いを忘れようとした

結局、順徳天皇は二度と都へは戻れず、在島21年46歳の若さで崩御

それは食を絶っての覚悟の自死であったと伝えられている

 

 

 

 

「都忘れ」の検索で上位に出てくる有名な歌ですが、順徳天皇が見た花とはちょっと違うとか

佐渡に自生しているのは深山嫁菜(ミヤマヨメナ)で、写真は後に改良された園芸品種

 

源頼朝から続く清和源氏の将軍が途絶え、朝廷の言うことを聞かない北条氏の時代になり、起こるべくして起こった朝廷と武家の対立抗争

その大きな流れに翻弄され敗者となった天皇の悲運と心境や如何に

 

 

 

 

 

【今日の一句】

 

此処にして

都忘れとはかなし

 

藤岡筑邨

 

藤岡改造(ふじおかかいぞう、1923~ )

長野県松本市生まれの作家、俳人

高浜虚子、富安風生に師事

「りんどう」主宰、「若葉」同人、号は筑邨(ちくそん)

 

 

 

句の意味はよくわかりませんが言葉のイメージだけで選んでみましたうーん

 

 

 

水田に水が入ると景色が変る

代掻きから田植え後の稲が育つ前の水鏡は散居村の佇まいを際立たせる

 

 

 

ここは富山県の砺波野

庄川の氾濫原として成長した扇状地

もともとは砂利層が厚く保水力のない土地だから水田には不向きだったが

豊富な庄川の水を扇状地の隅々まで行きわたらせることでこの景観が生れた

 

 

 

砺波平野の散居の起源と発展の過程には諸説があるようだ

例えば、「加賀藩が防衛上の理由で家屋を点在させた」とか、

「強風による火災の延焼被害を防ぐため」などとあるが、

農業に携わる者として一番合点がいくのは、「農民たちが開墾しやすく水を引きやすい土地を順に選び、耕作に都合よいように、その中心に家を建てて住んでいった」との説

従って、砺波平野全体に家々がちりばめられたのは、古代史にさかのぼるほど古いことではなく、戦国時代を経て、近世に入り加賀藩の治水事業が始まってからのことのようだ  

 

 

ちょっと固いウンチク話になりましたが、富山に居た時に「散居」に興味があって調べたことがあったので、その時の写真と記憶を呼び起こしてみました。

 

 

 

 

 

【今日の一句】

 

(それらしい句が探しきれなかったので、AI作になりますえー?)

 

田水張る

散居の家々

影を置き 

 

んー、イマイチかな

「散居」という単語が固くて俳句にはなじみにくいような・・・えー?

どなたか添削お願いしますゲラゲラ

 

 

 

 

 

 

【追記】

上の句は載せてはみたものの、しっくりこないので

寝起きに考えて、中の7文字を変えてみました

 

田水張る

垣遶の森の

影を置き 

 

 

「垣遶」は「かいにょ」の当て字で砺波では「屋敷林」のことをそう呼びます

いかがでしょう イヒイヒ

 

 

 

 

【追記2】

山野俳子大先生より味わいのある句をいただきました

これもいいですねぇ

ひとつだけですが掲載させていただきます

(もう一句はコメント欄参照)

 

田水張る

散居が里の

夕かげり