信長の「占い」への好奇心 | ヒズモのブログ

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TV番組「突然ですが占ってもいいですか?」が人気です。

「占い」に生年月日は欠かせないアイテムですが、織田信長はどうしたか、を教えてくれる本があります。

 

 

磯田道史氏の『江戸の備忘録』(文春文庫)の中に「信長の好奇心」(P10~12)という項があります。

 

織田信長は徹底した合理主義者だったとみられがちですが、実際は、「どの武将よりも奇怪を好んだ」とフロイス著の「日本史」にあるそうです。

 

そして、「占いや迷信、怪奇なる現象に異常なほど興味を抱き、それがまことかどうか、みずから確かめてみねばすまぬ性分であった。

とあります。

 

そこで面白い逸話(「朝野雑載」)が紹介されています。

信長は「生年月日がその人の運命を決めるものかどうか、確かめようとしていた」ということです。

 

信長は一つのお触れを出した。

<信長と同年同月同日同時に生まれし者を尋ね出し給う>

と、自分と同じ日、同じ時間に生まれた男を探し出して会おうとした

 

そして、「一人の男が見つかった。見れば極貧の男である。

 

『信長は言った。「わしは天下を取り、おまえは極貧。同時に生まれても、運命がだいぶん違うな。

 

ところが極貧男は言った。「いえ、上様と、わたしは大差ありません。ただ一日の違いだけです。

 

極貧男がそう答えたので、信長は聞いた。「その一日とはなんじゃ」

 

天下を持っても、貧しさに極まっても、それは昨日までの過去のこと。上様とて明日はわかりませぬ。今日一日のみ、上様は天下の主として楽しまれ、わたしも今日一日のみ極貧に苦しんているだけです。

 

これを聞いて、信長は一瞬がくぜんとした。結局、人間は今だけを生きている。極貧にあえぐ男は、自分にその真理を告げたのである。

 

やがて信長は満足そうにうなづき、男にたくさんの衣服金銀等を与えて帰したという。

 

人を信用しない冷徹な人間という私の織田信長へのイメージが、これを読んで少し変化しました。

 

お読みいただき、ありがとうございます。