輪王寺の大護摩堂で受けた

護摩祈祷は

想像をはるかに超えるものでした。

 

 

私はこの衝撃を

一生忘れないと思います。

 

 

 

 

 

 

 

前回記事のつづきです。

 

 

 

 

 

もしも護摩祈祷を"見学"したのだったら

私の場合は

この衝撃は体験できなかったので

 

 

最初から

「自らご祈祷を受けよ」と

見えない世界に導かれていたことが

わかりました。

 

 

その導きの主は、

 

 

直前に参拝してご挨拶した

天海さんではないか



という気がしています。

 

 

護摩祈祷が始まると

お坊さんは

「私たちのためにここまでしてくださるなんて…」

というくらい

全身全霊でおこなってくださいました。

 

 

そのお坊さんに対して

いえ、そういうお坊さんだからこそ

お不動さんが

しっかり向き合っておられるのが

 

 

びしびしと伝わってきました。

 

 

お坊さんとお不動さんは

強い強い信頼関係と

とてつもない深い愛でつながっていて

 

 

そこにいると

私の魂が震えました。

 

 

お坊さんの祈祷によって

お不動さんが出てこられ

どんどんパワーアップしておられるのが

 

 

見えない私にも

感じ取れました。

 

 

お坊さんは、なんと

ときどきろうそくの火に

手をあてておられました。

 

 

私はそれに

びっくりしたのですけれど

 

 

あとで識子さんの

喜多院のブログを思い出し

そういうことだったのかと納得しました。

 

 

 

(以下引用)

 

喜多院の護摩の炎は、悪いものを残らず焼き尽くす、驚異的なパワーです。

 

その理由は、お坊さんがたくさんの印を結ぶ時に、時々、ローソクの火に手を当てているからです。

 

〝火で浄化した〟悪いものが一切ついていない、超絶クリアな手で燃やす護摩の炎ですから、パワーが違います。

 

 

 

輪王寺も、

喜多院と同じように

 

 

天海さんによる特殊な方法で

ご祈祷が行われていると考えて

間違いないと思います。

 

 

ずば抜けた霊能力を持っていたという

天海さん。

天海さんのすごさが

ご祈祷を受けていると

私でも実感できました。

 

 

 

 

輪王寺の護摩祈祷については

識子さんのこの本に書かれています。

 

 

 

それをあらかじめ読んでいた私は、

 

 

本の中の

 

お坊さんを見ている不動明王の目は、

一般人の私たちを見る目とは全然違います。

なんというか、お坊さんは不動明王の中に

一歩入っても良い、「認めている」という感じです。

 

 

の部分が、

 

 

どういうことなのかわからなかったのです。

正直、本当かな?という気持ちもありました。

 

 

でも、実際に

護摩祈祷を目の前で見ると

 

 

本当にその通りでした。

不思議です。見えないのにわかります。

 

 

お坊さんは不動明王の中に

一歩入っても良い、「認めている」という感じ

 

 

お不動さんがそうする理由も

なぜそんなしくみになっているのかも

一発でわかって

それも衝撃でした。

 

 

私が言うと薄っぺらくなるのが嫌なので

多くは語りませんが

 

 

「お坊さんを見ている不動明王の目が

一般人の私たちを見る目とは全然違う」のも

一般人の私たちへ対する愛ゆえで、

 

 

「お坊さんが不動明王の中に一歩入っていく」のも

私たちに対する愛でした。

 

 

祈祷のお坊さんは、

今日、たまたま会っただけの私たちのために

 

 

こんなに全身全霊で

不動明王と向き合ってくださっている

 

 

そのことが

もう本当にありがたくて泣けました。

 

 

 

 

お不動さんに

天海さんに

そしてお坊さんに

 

 

感謝と感動で

ただただひれ伏したい気持ちでした。

 

 

護摩祈祷は約30分間。

 

 

「この時間が永遠に続けばいいのに」

と本気で思いました。

 

 

終了すると、

お坊さんは護摩祈祷で

火にかざしたお札を

夫に手渡してくれました。

 

 

そのときのお坊さんの声はもう

護摩祈祷のときとは違い

温和なお坊さんの声に戻っていました。

 

 

どうぞ袋に入れてお持ち帰りください

と言われて

 

 

袋を持っていた私は

あわてて夫のそばへ行って

袋の口を広げました。

 

 

夫がお札を入れたあと

私はなぜか、

封筒の口をしっかり折っていました。

 

 

そんな自分を自分で見て

 

 

「あ、そういうことか」

と気づきました。

 

 

護摩祈祷の強烈なパワーを

"その場で"封じ込めて持ち帰る

そのために

袋が早めに手渡されていたのです。

 

 

お札を入れた袋は、

夫が大事に持ちました。

自宅に戻るまで封を開けずにです。

 

 

夫も

この護摩祈祷を受けられたことに

なぜかわからないけどという感じで

大感激していました。

やっぱり夫でもそう感じたか…

 

 

 

よくしてくださった

お坊さんに

なんとお礼を言ったらいいかと思うと

離れがたい気持ちでした。

 

 

でもお坊さんも

そういう私たちの気持ちが

なぜかわかっておいでのようでした。

不思議です。

 

 

お坊さんは

最後まで私たちのことを

大切に思いやってくださり

 

 

私たちがお堂から出る瞬間まで

見えなくなるまで

見送ってくださいました。

 

 

それがまた

ありがたくてもったいなくて

 

 

何度も振り返っては

お礼のお辞儀をしました。

 

 

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お堂を出たとき

 

 

あのお坊さんに出会ったことが

人生であのお坊さんの護摩祈祷を受けられたことが

 

 

本当に奇跡なのかも

 

 

と感じました。

 

 

仮に、

 

 

私が

空海さんや円仁さんの時代に生きていた

一般人だったとして

 

 

そのときに

空海さんや円仁さんという人物に

実際に出会ったら

 

 

私はどんなふうに感じるのだろう?

 

 

 

 

 

きっと間違いなく

 

 

今のような気持ちだ

とわかって

 

 

涙がこぼれそうでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つづく