この県道112号線は長野県と群馬県にまたがる路線なのですが、群馬県側に未開通区間が存在します。
今回は長野県側からの進入です。
探索:2012年7月29日
毛無山って、変な名前の山がその近辺、荒涼としたその景色を見れば名前を納得すると思います、では紹介します。
まずここは群馬県道466号線。
草津独特の景色。
渋峠からこちらへ周ってきているので国道292号線→県道466号線という感じ。
場所的には万座です。
進行方向を向いて、県道表示を撮影。
まだこのあたりはホテルやスキー場もあり車も目に付きます。
はるか前方に人が歩いています。
宿泊客がぶらぶら散歩する、そういうところです。
しばらく走ると地図で「上信スカイライン」と書いてあったりする場所になります。
さすがにこの辺まで来ると建物も無く、車もほとんど見ません。
この先この県道466号線は県道112号線となり長野市街地の方へ抜けていきます。
道は見ての通り2車線はあり、見通しがよければ追い越しも出来るくらいのものです。
1台後ろからバイクが来たので道を譲ります。
すると看板が。
「長野県・高山村」
その先に見えるもう1つの青い看板は、
「牧干俣線 県道 高山村 牧」
群馬県から長野県へ入りました。
振り返るとほら。
「群馬県・嬬恋村」の標識。
ここは県境となります。
まあ足元を見てください。
「466 S」
もう分かりましたよね。
この先長野県内もおそらく県道466号線ではありますが、ここが群馬県側の県道466号線の起点です。
「道路整備事業(舗装) 日本鋪道(株) 終点 L=856.6M ← 群馬県」
「長野県道・群馬県道466号線・牧干俣線(まきほしまたせん)
起点 長野県上高井郡高山村牧
終点 群馬県吾妻郡嬬恋村干俣」
となっていますので、群馬側はここから国道292号線へ合流する地点までの856.6mという意味かと思います。。
今まで写真で紹介した区間がそれです。
ここから先は長野県道466号線となり長野県道112号線に接続される、わずか1、2Kmで終わります。
振り返って長野側より群馬側を望む。
白線があるところまでが群馬県道、なくなるこちら側は長野県道。
道は意外と綺麗です、景色も雲がかかっていて見られませんでしたが見晴らしは良さそうです。
群馬側から長野側を望む。
こちら側は嬬恋村 干俣、向こう側は高山村 牧。
少し行くと分岐が現れます。
ここで長野県道466号線は終了。
県道466号線を道なりに進むと長野県道112号線となり市街地方面へ、分岐を曲がると上の写真、市街地とは逆方面へ進路をとり再び群馬県へ戻る道となります。
今回はここから長野県道112号線へ進入します。
「長野県道・群馬県道112号線・大前須坂線。
起点 群馬県吾妻郡嬬恋村大前
終点 長野県須坂市大字須坂」
起点は、吾妻線の終点、大前駅周辺です。
上信スカイラインとは確実に違います。
始まるな・・・という感じ。
大型車は当然通れません。
ワンボックスとワンボックスのすれ違いも厳しいと思います。
もちろんガードレールがないところもあります。
分岐の地面にこれが。
何かあったときにはこれで通行止にするのでしょう。
あいにく天気は悪くはないのですが雲がかかり始めています。
ちょっとムムム!な雰囲気。
この雲が寂しさに拍車をかける。
雰囲気の話で言えば片足を廃道に突っ込んでいるよな路線です。
もっと草や蔓が張り出しているところもあります。
それとなく草が少なくなってきたりすると・・・
木々も減り始め視界が開けてきます。
写真では雲でまったく見えなくなってしまいましたが、開けた視界に飛び込んできたのは倒れた鉄塔(鉱石の搬出のためのリフトの支柱だと思います)でした。
雲の中におぼろげに浮かぶそれは荒廃した地球みたいな印象。
見えませんね。
支柱がいくつか立っているのは少し分かってもらえるかと。
情報を持っていたので、こんな景色が開けてもあまり動揺はしませんが、もし知らずに入り込んだ先にこんな景色が広がっていたら。。。
自分がここを訪れた時は人が何人かいました。
ここへ来る時に後ろから追いつかれたので、前を譲って行ってもらったバイクが2台、左手には車が数台。
ここを少し進んだ奥にもラジコン愛好家の車が3台ほど。
しかも雲の中から歩いてきた女性は犬を連れていました、その後向こうから歩いてきた女性は赤ん坊を抱えていました。
・・・なんか、どういう場所なんだ??ここは。
国道353号線の時も、ここも、この先道がないというのに人がいてしかも生活感あふれてる。
この世の中から取り残されてしまった感を味わいに不通(未開通)区間を渡り歩いているというのに(笑)
雲に消える道、ドキドキこの先どうなるのか。
きたー。
こっちは長野県。
鎖から向こうは群馬県。
地図上でも県道112号線は続いているのに立ち入り禁止。
地図から消せばいいのに!入っちゃダメなら地図から消せばいいのに~。
毛無峠、標高1823m。
この看板で分からない事ありますか?ありますよね。
ここが上州と信州の分かれ道で、どうやら小串地蔵堂というのがこの先にあるらしい。
←の方へ。。。
アチャー・・・
・・ダンベー・・の国境?
先の道はこうなっています。
下りながら話しましょう。
自分も何のことだかさっぱり分からず調べました。
「あちゃー」は長野の「だんべー」は群馬の方言だそうです。
いろんな意味であそこが境目だってことですね。
先の道が全て見渡せます。
凄い九十九折です。
残念ながら時間的に午後5時、この道を降りる時間はなさそうです。
道端に転がったこの標石はここを訪れる人の目には留まるのだろうか・・・
きっと九十九折の絶景に目を奪われ、山側にあるこいつは誰の目にも留まらずにずっとそこにそうしているのだろう。
どう検索しても自分の欲しい情報はネットに載っていないので自分で行って確かめる。
それが道歩きを始めたきっかけです。
群馬県道112号線や小串鉱山と入れて検索すれば景色の写真やこの先の鉱山へ行けなくても廃墟があってとか、どんな感じになっているのかは大体分かります。
でもこの道が鉱山の所まで県道112号線である事には誰も触れないし、鉱山の先に道があるのかどうかということも触れられてない。
これも誰の目にも留まらないし、留まっても何の価値もないのでしょう。
「群巾」しかといただきました。
経験不足で確証はないのですが群馬県の「県道」の証であろうと思われます。
倒れた標石を過ぎて1コーナ後の見えなかった道が姿を現し始めました。
看板が見える、きっと他にも標石があるかもしれない、なにより事実上の廃道になっても未だに地図に表示されるこの県道を歩いてみたい。
九十九折を下りた先にあるのが小串鉱山跡。
見ても分かるとおり崩れた後が見受けられる、小串鉱山と検索してもらえればここがどういう事故のあった場所なのかすぐに分かってもらえると思います。
昭和12年大規模な地すべりが発生し245名の命が奪われています。
その供養のための地蔵尊なのです。
昭和46年に閉山されるまでに多いときには1500名以上がここで生活していて、学校や公園もあったという。
鉱山に関する結構詳しい資料も見つけました。
その資料から最大の数字を拾うと、昭和43年には年間の生産量3万トンに迫り、従業者は昭和32年前後で600名、昭和38年には小串小中学校の生徒数が296名、昭和35年には336世帯が生活していたといいます。
引き返してきて午後5時30分。
さっきの看板にあったように車道で4Km下ったところに地蔵堂があり、この地で亡くなった方々の供養が毎年行われるようなので定期的に人の行き来はあるようだ。
ただ車道以外の地面は小石の集まりだからなのか柔らかいという印象を受けた。
そしてこの地下には長大な隧道が眠っているという・・・
その記事も今のところ見たことはない。
今回は時間が無かったのでこの程度となりましたが、機会があればこの道とあと逆側からも道を追ってみたい。