年末、貸別荘繁忙期。



一汁一菜の質素な朝食で、清掃業務に向かう。

そんな年末。


↑もう既に食べ終えそうな汚い画

すみません…お願い




なぜなら食べてる途中に気付いたから。

こんな質素な食事でも、味わい深いなんて…。




せわしない年末となりながらも、束の間、目の前のご飯に向き合ってみたところ…この慌ただしさのなかでも、お米を作ってくれる人、スーパーでお米を売ってくれる人がいて、無事に仕事に行ける。




自分で米から作ってたら大変だもんね!

ほんとは、無数の、沢山の人のお陰で私の生活が成り立つ。






会社の業務や数字も、これくらいマクロな視点で見れたらラクなのにね。

はてしない俯瞰で。笑

でも…どうしても、目の前のことに捕らわれてしまう。







うあ!また出た。

↑勧善懲悪⁈聖人気取りの田原啓江ブログ。



かと思いきや

さらに気付いて電球



例えば、"会社業務然り、稼がなきゃダメ、収益化すべし"、◯◯すべき、と思うということは、自分のなかで何かしらのジャッジを下していて、実は他人をその物差しで評価したり見下したりする自分がいる(深層的に)…更に何より恐ろしいことに‼︎

…自分がそのジャッジする悪い状況になることを、何より恐れているという事実。




ひー叫び叫び






他人への批判より、深層では、自分の傷の方が深いです。涙

自分のなかのジャッジは、何より自分自身を苦しめていた!

※説明下手ですみません。わからない方はスルーしてくださいお願い




そのジャッジに気付き

自分のために

手放しちまったり、見方を変えた方がラクになるかと本気で思った。




そのジャッジって…そもそも生きるうえでの"幸せ"感と乖離するかと。






また

自分の傷を癒やせなければ、人にも優しくできないという真の意味の深さを知る。

そういうことか。

2024年末門松




お粗末な気付きかもしれないし、人にとやかく言われようと関係なくて。

2025年こそは、ほんとに自分を大事にして愛することができる1年にしようと思った。




きっとラクで楽な年になる。



@マルキ 4時pm



2024年も、あと1日。