癒し手じゅんこです。

 

 

 

 

 

 

先日、月に一度の先祖供養の護摩祈祷を

していただくために、お世話になっている

お寺に伺った時のこと

 

 

 

「こんにちはーーー!」と声を掛けながら

入っていくと。

 

 

 

 

ん?人氣がない。

 

 

 

 

ご自宅の方へもお堂の方へも、

何度も声を掛けてみるが、しーーーーん。

 

 

 

 

どうやら、いらっしゃらない様子。

あれ?忘れられたかな?

 

 

 

 

仕方なくお供えだけ置いて、

帰ろうとしていたのだけど、

思い立って阿闍梨様に電話をしてみると、

「今、戻っています」という返事。

 

 

 

 

じゃあ待たせてもらおうと、

お堂で阿闍梨様の帰りを待ち、

無事に護摩祈祷をあげていただくことが

できました。

 

 

 

 

私は、その時は、何か急用ができて出掛けて

いたんだろうと思ったのですが、

後でよくよく考えてみると、

やっぱり忘れていたんだろうと思いました(笑)

 

 

 

 

阿闍梨様は、密教の教えを深く

受けていらして、田舎のお寺で

先祖供養などの護摩祈祷をされています。

 

 

 

しかも私たちは

私たちだけで供養をしていただいてるんです。

 

 

 

 

その一方で、世俗的なことには少し疎い面が

おありのようで、口約束だけだと

忘れてしまうことがたま~にあります。

 

 

 

 

予定通り行ったら、誰もいなくて、

忘れられてたのは、

もちろん嬉しくはないです。

 

 

 

 

でも、私は、阿闍梨様はめちゃくちゃ一芸に

秀でた方だと思っているので、

怒ったりする氣が起きないんですよね。

 

 

 

 

護摩祈祷や密教に関する知識がすごい分

他の日常的な能力はあまり必要なかったんだ

と思います。

 

 

 

 

田舎の山奥でご夫婦で小さなお寺を営まれて

いて、秘書とか事務方の人がいる訳じゃない

ので行き届かないところもあるのでしょう。

 

 

 

 

心安く、訪れる人みんなにご祈祷やご縁日を

授けてくださるだけで十分だと

私は思っています。

 

 

 

 

私たちは、とかく

欠けている所に目がいってしまい、

自分の突出している所をもっと伸ばすことに

目がいきません。

 

 

 

 

欠けてる部分を何とか、

伸ばそうという努力はするんですけどね。

 

 

 

 

本来の私たちがやるべきことは、

突出している所をより伸ばし、

欠けている所は誰かに助けてもらうこと

だと私は思います。

 

 

 

 

平均的な、まーーるい人になることが

必ずしもいいこととは限りませんよね。

 

 

 

 

あなたにも必ず人より突出した所があります。

でも、そこを磨いて伸ばさなければ、

そこは芽を出してきません。

 

 

 

 

欠けている部分じゃなくて、

飛び出している所を磨く。

 

 

 

 

飛び出している所が、

もっと非常識に飛び出すまで磨く。

 

 

 

 

それが、あなたがあなたらしく生きる

ということだと思いますよ。