癒し手じゅんこです。

 

 

 

 

数日前、夫と喧嘩しました。

 

 

きっかけはほんの些細なことでした。

 

 

でも、そのことは

私の中でずっと氣になっていたこと

だったので

 

口に出してしまったら

つい強い口調になってしまい

喧嘩になってしまいました。

 

 

で、仲直りもしないまま

私はある会に参加したんですね。

 

 

そこで

「いやー、実は今、主人と喧嘩してて」

と話したところ

夫婦円満の話になったんですよ。

 

 

で「帰ったら”ごめんね”って言います」

と言ったら

 

偉い!なんて言われるもんで

よくよく話を聴いたら

一緒にいた方たちにとっては

 

「円満?なにそれ美味しいの!?」

って感じだったらしく(笑)

 

 

私から見たら、達観してると言うか

もっと穏やかな生活を送られてる感じ

の方たちだったので、驚くとともに

笑ってしまいました。

 

 

蓋を開けてみたら

誰も同じように何かしら抱えていて

それと向き合ったり避けてみたり

しながら暮らしてるんだなぁ

 

 

 

で、私の方は

帰り道にメッセンジャーのやり取りで

何となく、夫と仲直りして(笑)

 

次の日に、今回の喧嘩にまつわる色々を

話しました。

 

 

そのままうやむやにしても

よかったんだけど

分析する「青い手」としては

そのままになんてしておけないのです(笑)

 

 

なんで、あんな強い口調に

なってしまったのかの考察から

関係性を築くということまで

話しました。

 

 

端折って結論だけ言ってしまうと、

結局、我慢し続けてると

爆発しちゃうよねってことです。

 

 

こんなこと言いたくないなぁ

こんなこと言われたくないよね

 

でも氣になるな、嫌だな

 

こんな些細なこと

我慢すれば済むんだよね

でも、やっぱ嫌だな

 

言おうかな、どうしようかな

 

 

こんなことを何度も何度も

頭の中で繰り返し、

やっぱり!と勇氣を出して口に出した時には

既にいろんなものが積み重なっちゃってる。

 

 

言うことへの罪悪感と

言わないことでの犠牲感

これは厄介だなと実感しました。

 

 

こういう時に役立つ

NVCという非暴力コミュニケーションの

プログラムを受けたことがあります。

 

 

紛争解決にも使われるような、

コミュニケーションテクニックで

 

自分から要求を出すだけじゃなく

相手の意見も受け容れ、

お互いの間に納得点を探していくような手法

 

 

そういうやり方を知っていても

人ってのはつい感情的に

なってしまうもんですよね。

 

 

咄嗟の会話には役立たなかったけど(笑)

その後、冷静になってから夫と話すには

NVCは役に立ったなと思います。

 

 

「夫婦円満」でありたい。

だからこそ

関係性を創っていくのを諦めない。

 

 

もちろん穏やかに話せれば

それが一番です。

 

 

でも、つい声を荒げてしまったり

喧嘩になってしまうのも

人間らしくていいなと私は思うんですよ。

 

 

そうなってでも

自分の内側に起こってることを

相手に伝えるのを諦めない。

伝えることを辞めない。

 

 

だって、私と夫は

全く違う環境で育ってきた

全く違う人間なんだから

話さなければ分からないのが

当たり前ですもんね。

 

 

そして、どれだけ話したとしても

やっぱり分からない部分が残るのも

当たり前だと思ってます。

 

 

私は他人は分からないものだと

思っています。

 

 

そこを越えて分かり合うって

ぶっちゃけ面倒くさいですよね(^-^;

 

 

そこを越えても分かり合いたいと

思えるかどうかは相手の大切さにも

比例するんじゃないでしょうか。

 

 

だからこそ

少しでも分かり合いたいと思える相手と

出会えただけでも奇跡じゃないですか!

 

 

 

 

夫とは、これからも喧嘩になることも

あると思います。

 

 

それでも、

夫のことを少しでも分かりたいし

私のことを少しでも分かってもらいたい

と思います。

 

 

もちろん喧嘩にならなければ

それに越したことはないので

そういう手法も模索しながら。

 

 

関係性を創ることを

諦めずにいたいと思います。

 

 

 

 

鳥さんは必ずつがいで仲良しラブ

 

 

 

 

 

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癒し手じゅんこです。

 

 

 

 

去年、半年掛けて、身体のことを学びました。

 

 

その学びを通して

私たちの身体は畑と同じように

全く自然の摂理通りだと確信できました。

 

 

「女性と男性は違います。

もう、この違いは身体の構造上

どうしようもなくて

女性は男性と同じように働いたりは

出来ないんです」

 

 

身体のことを教えてくれた講師の方の

言葉です。

 

 

私たちの本能の一番大切なところは

野菜たちと同じ種の存続です。

 

 

産む性である女性は出産によって

全治3年と言えるほどの傷を

負うんだそうです。

 

 

今でこそ

医療の発達で命に係わることは

減ってきましたが

それでもお産は身体の大きな負担と

なります。

 

 

こう言ってしまうと

語弊があるかもしれないのを

覚悟で言うと

 

女性の身体は

実際に子どもを持つかどうかは別として

子どもを産み育てるように出来ているんだ

と思います。

 

 

だから

女性が安心して子を産み育てられる

環境が社会のシステムとして

できあがっていることが大切だと

私は思います。

 

 

女性はお産によって

全治3年の傷を負っている。

 

 

女性は男性と同じように働けるようには、

身体の仕組みが出来ていない。

 

 

このことが周知されれば

男尊女卑なんてなく

 

お互いが役割を全うすることで助け合い

役割分担し合い、家を創っていく

ということができるんじゃないかと

思いました。

 

 

この考えからすると、核家族化というのも

ナンセンスなんだと思います。

 

 

男性が外で働き、家庭を支え

女性が自分の身体を労りながら

家事育児をしていくには

どう考えても人員が足りないと

思いませんか!?

 

 

もう昔には戻れませんが

大家族というのは

よく出来た仕組みだったんだと思います。

 

 

男性は働き家庭を守れる糧を得ることが

自信につながり

妻は安心して子どもを育て、

しっかりと家を守り、切り盛りすることが

自信につながる。

 

 

これが、私が身体のことを学ぶことで得た

氣付きの一つです。

 

 

貨幣制度が生まれ

お金の価値が優先されるようになってから

この辺りが崩れてしまったことが

今の世の中の慢性的な自信のなさや

自己肯定感の低さにつながっている

ような氣がしています。

 

 

もちろん、女性が社会で活躍することを

否定している訳ではありません。

 

 

それぞれが持つ「男性性」「女性性」の

バランスもあるので

一言で男性は外、女性は内というのが

正解だと言えるものでもありません。

 

 

ただ、私たちの身体の仕組みとして

男女は違うということと

本能の第一義は種の存続だとするなら

 

子どもを持つか持たないかは

それぞれの選択だということは

大前提として

 

 

子宮を持つ女性がしっかりと家を守り整え

家族の健康も整えていけるように

 

子育ての間は特に

男性が働くことで支えるというのは

ごく自然な形なのだなと感じました。

 

 

色々な事象が絡み合っているので

一概には言えませんが

様々な問題の原因は、この自然な形が

崩れてしまったことにあるのかも

しれないな、なんて思ったりしています。

 

 

この辺は、もう少し掘り下げて

考えてみたいところです。

 

 

 

 

 

 

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癒し手じゅんこです。

 

 

 

 

「普通」とか「当たり前」とかって言葉、

意外と無意識に使ってますよね。

 

 

特に血のつながりのある家族間だと

「普通」が共有されてるので

「○○って普通だよね」で

話が通ってしまいがちです。

 

 

でも、そこに他人が入ると

「普通」なんてものは

どこにもないって感じませんか?

 

 

「普通」がどこにもないというか

家族の数だけ「普通」があるというか。

 

 

で、大きなものから小さなものまで

(CMじゃないですよって古いか(笑))

トラブルの原因は、この「普通」を

主張し合うことなんじゃないかと

思い至ったんです。

 

 

この「普通」って

とにかく沁みついてるんです

私たちに。

 

 

そうじゃないのがあり得ないと感じるくらい、

そうじゃないのが氣持ち悪くなるくらい

 

 

自分にとっての「普通」が

相手にとっても「普通」だと

思い込んでしまってるんです。

 

 

だから、相手が、

自分が「普通」だと思っていることを

やらなかったりすると、つい

 

「そうするのが普通でしょ!

 なんでやらないの」

 

と思ったり言ったりしてしまいます。

 

 

これは価値観ババ抜き(R)で

分かることにも似ていて

価値観ババ抜き(R)をやると

自分自身が分かると同時に

いかに相手と自分が違うかも

分かるんですよね。

 

 

そして、価値観ババ抜き(R)で

目の当たりにするまでは

心のどこかで何となく

お互い同じようなことを

大切にしてるんじゃないか

と思ってしまってる

ということにも氣付きます。

 

 

これと同じことが「普通」にも言えて、

私の「普通」と相手の「普通」は違うという

ことに、ふだんはなかなか氣付けないんです。

 

 

だから、これが「普通」なのに

それをやらない相手が間違っている!

と決めつけてしまうということが

起きてしまいます。

 

 

相手には相手の「普通」があることに

氣付けることは

とても大事なことだと思います。

 

 

その上で、やはり

あなたの「普通」を主張することも

大切だと、私は思います。

 

 

あなたにとっての「普通」は

あなたにとって大切にしてきた部分

でもあります。

 

 

あなたにとって

こだわりのある部分でもあると思います。

 

 

だからこそ、あなたにとっての大事な

「私はこう暮らしていきたい」を主張し

相手と摺り合わせていくことが必要です。

 

 

これが家族になっていくということ

なんじゃないかと私は思います。

 

 

もしも、相手が受け容れてくれなかったら

またその時に考えましょう。

 

 

まずは、たとえ小さなことであっても、

あなたがこうしてほしいと感じることは、

伝えてみてくださいね。

 

 

こんなくだらないこと・・・と感じることや

私がちょっと我慢すれば済むこと・・・と

感じることほど、あなたにとっては日々の

大切なことなんだと思います。

 

 

そういうことを蔑ろにして

自分を適当に扱っていると

段々と相手と一緒にいるのが辛くなったり

自尊感情が下がったりしてしまいますからね。

 

 

そういうことを大切に感じる自分を

大切にして

相手との関係性を築く工夫をしてみてく

ださい。

 

 

 

 

 

 

 

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