言葉には、力がある。
そのエネルギーによって、伝わっていく。
そう思ってきました。
スピリチュアルな真実を体験し、高次のメッセージを発信していく。
そのような能力を得たいと思い、セミナーを受けたり、瞑想をしたりしています。
ただ、それだけでは、いわゆる私みたいなスピリチュアルに興味のある人にはメッセージが届いても、そのようなスピリチュアルに興味がない一般の人たちにまでは、なかなかそのようなメッセージは届きにくいのではないかと思い始めています。
この人の話なら聞いてみたい。
この人のメッセージなら、真実味がある。
そう思ってもらえるような言葉を支える「土台」作りについて、ほとんど意識してこなかったと感じています。
言葉と土台は別物。
無意識にそう思ってきたかもしれません。
「言葉」や「メッセージ」が真実であれば問題ないと。
しかし、この現実社会の中で、その「言葉」や「メッセージ」を自らの言葉として語るとき、その発信したメッセージの「土台」となっているものがどのようなものであるかが大きな影響力を持っていると思い始めています。
この「土台」というのは、いわゆる社会的地位というものではありません。
その人自身を表すもの、今まで積み重ねてきた人間性そのもの、いわゆる「在り方」とでも言うものでしょうか。
どのような「在り方」(土台)で発信していくのか。
それも大切なことなのではないかと感じ始めています。
人生を難しい修行にするつもりは全くなく、あくまでも軽やかに「在り方」を高めていければと思っていますが。
今日は天皇誕生日。
その御姿、御言葉には、天皇陛下が築いてこられた素晴らしい「在り方」がにじみ出ています。
国民に深く寄り添われ、国民の為にお祈りされてきた天皇陛下の「在り方」そのものがエネルギーを持ち、自分の魂に直接伝わってきている。
以前から天皇皇后両陛下のお姿をテレビで拝見した時に、自然と涙が出てくることがあり、自分でもこれは何なのだろうと思っていました。
でも今は、テレビ画面を通してでも伝わってくるその「在り方」そのもののエネルギーを魂が感じ取って、涙が出てきたものと、思っています。
平成の世を国民の為に尽くされた天皇陛下の「在り方」に深く感謝し、新しく始まる時代において、自分自身も国民の一人として少しでも「在り方」を高め、世の為に尽くしていこうと思っています。
亀吉 「本当に久しぶりのブログだね。」 (ハワイ生まれの幸運の亀。何故か日本名。)
てんしん「そうだね。」
亀吉「ブログ辞めたのかって思ってた。
週刊でも月刊でもなく、これじゃ年刊だね。」
てんしん「アウトプットが必要と思ってブログを始めたけど、インプットも圧倒的に足りないと感じて、そっちの方がメインになってたんだ。
インプットがまだまだ必要とは感じてるんだけど、でも、やっぱり、択一ではなく、両立が一番良いのかなと今は、感じてるんだ。」
亀吉「月刊くらいは書けそうなの?」
てんしん「その位はと思ってるんだけど。特別なことを書こうとすると書けなくなっちゃうから、感じたこと、思っていること、考えたことを素直に表現できればと思ってる。」
亀吉「期待しないで、次を待ってるね。」