20年ほど前、長崎大学の友人・井川惺亮教授の招きで

6年間非常勤講師として、教育学部で集中講義を行った。

          長崎と言えば原爆と江戸時代の隠れキリシタンであり、

映画に出てくる奉行所など井川先生に案内してもらった。

泊っていたワシントンホテルから、時々夕食を兼ね、散歩しながら出島や港辺りを巡った。

 

         この当時、離島に散在している小さな模型のような教会を訪ねて見たいと思っていた。

キリスト教徒が汗と労働と願いで築いた彫刻モニュメントなのだろう。

北村西望のグロテスクな平和記念像の正反対にある。

 

          最近はこれら造形の基本原則、思い焦がれた造形の原点を巡るツアーがあるようだ。

映画「沈黙・サイレンス」ではこれらの映像はなかった。その内、参加したいと思っている。

webより

 

          もう一つ、実物の踏み絵を数枚見た。

マリヤかキリストのレリーフ状のブロンズや木が擦り減っていた。

人の足に踏まれた数のもの凄さと犠牲になった人たちは映画を見てなるほどと思った。

 

          鎖国は文字通り、閉鎖社会で絶対的なに人をコントロールすることにあったのだろう。

幕府や支配階級にとっては出島を通して物や知識や技術を輸入してきたという経緯もある。

 

          太平洋戦争後、アメリカ思想あらゆる面一辺倒になったのは、

日本の支配階級全てが金と脅しで簡単に寝返った、つまり棄教したのである。

これほど簡単なことと隠れキリシタンの人々の命に代えても守る意義との乖離とは一体何か。

そして、江戸時代からの一般市民無知蒙昧に陥れておく政策は今も続けられている。