かつては人生とは耐えることだった。

ほんのわずかな夢も満たされないばかりか、

基本的な生存のための衣食住すら難しい状況が人類の歴史だった。

              しかし、20世紀になって、あらゆるものが大量生産時代になり、

国家も個人も飽食時代が過ぎると溜まっていた欲求不満が爆発し、

欲望時代に突入した。これは古代から略奪戦争の類であるが、

帝国主義による植民地支配など国の単位から、

一般市民も格差社会への参画が資本主義社会での自由の証しが弱肉強食になった。

 

                 そこには侵略と差別が様々な暴力を含めた日常的に試みられている。

勝ち組と称される人にとっても、ましてや負け組の人々にとっては

耐えられる我慢と他に転嫁できたらいいが、トラウマになりもっと深刻なるケースもある。

樋口正一郎 自作

 

樋口正一郎 自作

 

 

 

 

                  美術では時の王様が己の征服欲を喧伝するために

古今東西数多くつくられてきた。

しかし、権力者の自己顕示欲の勇ましい姿は怒りの表現ではない。

日本では、密教の不動明王像は憤怒を表して怒りで身を焦がすほどではあっても、

爆発しないよう耐えるという表現であろう。

 

                  近代以後、どんな人も自由な生き方は

憲法で権利として保証されていたとしても、

日本の近代民主主義に長い封建主義の染みついたDNAは

なかなか転換できないようだ。

成し遂げられるものに反し、初めから無理といった事柄が納得づくで収拾しても、

時間や手間がかかればかかるほど怒りが増す。

 

                私の今回のケースはBLMの続きで、自由の領域を侵す。

人間の尊厳を侵犯する。暴力で人を屈服させる。

白と黒を主に使い、オセロのように黒白つけられる内容、事柄ではないが

最終手的な決着は難しくても「、猿の惑星」の映画のような事態は起りうる。

樋口正一郎 自作

 

樋口正一郎 自作