人はその場その場、出合う条件で対応する。
場合によっては豹変するかもしれないし、狂ったようになるかも知れない。
人は社会人としてルールの限界を厳しく躾けられている。
逸脱しないよう、村八分にならないよう恐怖を肝に銘じて生きている。
だからこそ、それを逆手に取って、普通の人を手玉にとる表の顔と裏の顔が異なる
「二重人格」そして、それが演劇のように嬉々として習い性の人もいる、
樋口正一郎 表の顔と裏の顔
樋口正一郎 表の顔と裏の顔
樋口正一郎 無題
BLMのジョージ・フロイトさんの首を膝で圧し潰した警官は、
ああすることが習慣だったのだろう。
死ぬかもしれないと考えることなく、いつものことなかも知れない。
そう考えると、社会人として生活することから警官の姿になると、
二重人格の悪魔の手先として変身するし、
黒人に対して、獲物としてのターゲットになるのか。
自分ではコントロールできない程の情報やプレッシャーの中で
人は生きる。今日、人間の求める欲望の多様さと大きさに流されることが
二重人格、多重人格は始まる。
しかし、「大志を抱け」、野心や大望を持つことが人間なのだ。
ベネチアの仮面舞踏会や透明人間の夢を見るくらいが
良いのかもしれないが、多重人格にならなければ、生きれなくなっている。