誰だって、自分の住む町を人にけなさされば怒る。
そうかといって、誇れるようなものがあると言えば、特にとりたてて目立つものはない。
昔グレイハウンドバスでアメリカ中をぐるぐる回った頃があった。
ニューオリーンズのフレンチクォーターのフランス移民が懐かしんで造った街。
よく見るのは中華街。ニューヨークをはじめ、大都会には必ずある。
しかし、アメリカの小都市は金太郎飴の如く押しなべて同じような町並みで、
郊外に巨大なショッピングモールが出現するのは、近年の日本の風景と変わらない。
しかし、町並みの中に市庁舎のランドマークとなるような尖塔や
小さな町にふさわしくない程大きな建物であったり、
公共施設は何百年も経つ立派なものが多い。
つまり、行政府が小さくても「将来大きくなる」と住民に夢を託し、
精一杯背伸びした努力の結晶なのだろう。
さて「蔵の街 とちぎ」は中核がない。
というのも、往時に、日光例幣使街道の宿場町や巴波(うずま)川の船運で栄えた商人のパワーが強く、
現在見られるような歴史遺産の多くが商人に纏わる結果になったとしても、
「とちぎ」の歴史遺産の中でアメリカの小さな都市で見られるような行政府の歴史遺産が見られないのだ。
塚田歴史伝説館を巴波(うずま)川から見る 観光シーズンには遊覧船が出る
塚田歴史伝説館の内側
とちぎ蔵の街観光館/元荒物屋/蔵の街の観光拠点
商人の交易の相手や利益そして使用人やそれらもろもろの蔵には
文書が残っている、それら個々の郷土館や歴史観を集約した全体像を窺がえるものが必要である。
そして行政には、歴史遺産を持っている人、個人に努力と熱意に頼っているばかりではいけない。
どこにでもある、変哲もない街になってしまうからだ。
以下は街中に点在する歴史ある店舗
ただ受け取ったものは有難味が感じられないどころか、
手間暇をかけて、いつ効果を見せることができるのか、厄介物なのだ。
しかし、そうこうしているうちに、消滅してきたのである。
歴史の無い街は将来何も生み出さないことを、
欧米の都市は肝に命ずるというより、普通のこととしてやっている。