コロナの政府対応については、国のあり方、組織、仕組み、
あらゆる意味でのパンドラの箱が開けられたように国の問題点があからさまになった。
「どんな国をつくるのか」を太平洋戦争後、問うことなしに、
経済復興だけを国是として今日まで来たからである。
「耐えることを美談」に疑問や文句を言わない国民をつくり、
一時は経済大国になったこともある。
しかし、理念を持たない国の方向性を示すことのない行き当たりばったりは、
政治で言えば、中国の覇権主義に対しては、
かつての軍国主義への方向はチャンスと考える人も出てくる。
そして、経済では家電はアジアへ、日本の基幹産業である自動車については、
10年もすれば中国にとって代わられる。
そして、日本では消えてしまった文化政策は、
どんな国家でもアイデンティティとして欠かせない。
文化大国であればある程、尊敬される国家の格のレベルアップに力を注いでいる。
アジアで言えば、シンガポール、中国、韓国などに比べ、
過去の文化に酔ったまま覚醒しない日本は、周回後れの事態。
アジアでは、例えば、美術に対する期待は、
日本で考えられないほどの動きだ。
美術系大学の新設や増築など、21世紀が創造的な表現や産業の時代だからこそ。
つまり、ソフトを生み出す基礎の発想力をいかに育むのか。
そこには、芸術系は無駄、役に立たないと無視するのは、日本のみだ。
アジアでは180度反対に、宝の山をいかに掘り当てるかの、
幅広い展開をしている。
アジアの国を見ていると、日本にはケチの癖がつきすぎ、
ワクチンを買わずにすむ神頼みが横行し、
オリンピックができるかできないかまで追い詰められ、
やっと重い腰を上げたものである。
日本は貧乏神の住み家になってしまった。
リッチな人は特に、貧乏人もほとんどが金の亡者、
金の奴隷。それから開放しなくては、日本の未来はない。
ケチな日本の悪習慣を絶つには、まずは様々な実験を試みたらどうか。
まずは、その一つに、国民の大多数である労働者の最低賃金を
2倍、3倍くらいにしたらどうか。
ケチケチした人生からさよならして、
発想と動きを一時的でもダイナミックになるだろう。
好き勝手な生きや表現が普通にならなければ、
言い換えれば、カウンターカルチャーと共存できなければ、
日本がサバイバルできる創造的な社会にはならない。