朝日新聞1月10日朝刊の文化欄の-「坊ちゃん」が映すポピュリズムの始まり-の中で
旧知の評論家の松山巌さんの名を見つけ、美術家にとってのポピュリズムを少し考えてみた。
記事のタイトルにある「群れを頼む人々 暴動に重なる」のとは真逆の、
個々の個性を最大限発揮する表現者は、各自、他との違いを鮮明にすることが存在意義となっている。
もっとも、各種学会の類と思える日展などの多くの団体展も
日本の美術界の特殊性として、根強い歴史もある。
好きな趣味が嵩じて美術大学に入り、いくら専門家の道を極めようが、
職業としての美術家は古今東西めったにありえない。
かつて、王侯貴族がお抱えの絵師の表現も、雇い主が気に入り喜ぶことで成立する。
江戸時代の役者絵、風景版画にしても、プロデューサーの蔦屋重三郎などの
人気バロメーターやらリサーチによる、表現、ジャンルなどの開拓による販促は昔も今も変わらない。
ポピュリズムは政治用語として「大衆迎合主義」と理解されている。
かつて美術は芸術のジャンルであった。
サブカルチャーであった「マンガ」と美術は、いつのまにか主客逆転した。
美術館などでの展示も「マンガ」がメイン展示で大量入場者のおぼこれを期待するのが美術展という
時代の変化だ。美術が社会の変化についていけず、
社会も、もっと刺激の強い動きのマンガやアニメの具体的な表現を好むようになるのは、
当然の成り行きだった。
そして、長引く不況も相俟って、値段も高く、
高い教養も必要と思われる美術品は敬遠あるいは無視される運命である。
日本には貴族はいないし、庶民の国で、ハイソなパーティもない。
欧米の上流階級のパーティなどのように、美術の話題など必要ない。
日本のように数少ないコレクターに媚びるのは難しいので、
一般人の好みに合わせた値段と表現になる。
日本では、無理矢理美術家として生きようとすると、
美術本来の目的や面白さとは無縁の存在に嵌りこんでゆく。
そういう生き方が日本の美術家のポピュリズムの実態だと思う。