Newsweek2021年4月6日号の記事/「傍観者でいいのか」という問いを

つき付けられてのTatsuya Moriの私的な邦画論を読んで、私も表明する気になった。

数十年前から、人類にとっての生死を賭けたハルマゲドンは

イスラエルとアラブの戦いが中東戦争のようなものでなく、世界のすべての国を巻き込んだものになる。

 

      第二次大戦では、ゲルマン民族が地球上の覇権を握るべく、

まずはユダヤ人の抹殺を謀ったが、アングロサクソン民族を中心としたアメリカ連合軍に野望は潰えた。

人類の理念と正義は生きていると世界は思った。

 

     しかし、パレスチナでのユダヤ人の建国・イスラエルは、

浮かれた戦勝気分と古代ローマ帝国のシーザーのように、

領土を勝手に分け与えたとしか思えない。

 

      いくらユダヤ民族が多大な「被害」にあい、人類がその贖罪のため、

そしてかつて、ユダヤ民族がその地にいたという理由付けと、

建国当時、アラブ人の生活圏を無視した割り込みはいつまで経っても謎のままだ。

 

     人類にとっての心配の種は、時代が経ち、ユダヤの「不法」居住権の既成事実化により、

問題点もうやむやに馴染んでゆくものと漠然とした期待があったのだろう。

しかし、遊牧民族的なアラブ人の心情も、国という意識が、イスラエルによって自覚させられるようになって、

「何故」という問題点が顕在化するようになった。

そして、アラブ人からすれば、ユダヤ人が経済力と軍事力が強大化するに従い、

居座り、強盗のように主客逆転の作戦を進めてきた。

第二次大戦時、ナチにやられっぱなしのユダヤ人が、今は攻める側になり、アラブをおもちゃにしている。

 

     「ハルマゲドン」はいつなのかと言えば、中東の石油が枯渇する時、

あるいはCO問題で石油が必要なくなる時。

これは、貿易で不即不離の関係にある米中決定的な対立きないような関係を

アラブ、イスラエル間に築くことは考えにくい。

     石油問題が引き金となり、全てを投げうち、アラブが生死を賭け、

屈辱の時代に終止符を打つための「ハルマゲドン」 を決行しなくてはならない事態をいかに回避するのか。

今度こそ、人類の命運がかかっている。

写真はwikipediaより photo:ジャスティン・マッキントッシュ