かつて冷戦時、シェルターと言えば、核戦争でのサバイバルするための

地下にコンクリート製の頑丈な防空壕といった感じだった。

   地球上ではじめての漂流と言えば「ノアの箱舟」。

いつも思うのだが、ノアがアララト山に漂流しなかったら、

大西洋の魔のバーミューダー三角地帯サルガッソーで

永遠に彷徨(ただよ)い続ける幽霊船のように、

人類の歴史、世界はまったく存在しなかったもしれない。

 

   場面は変わって、現代はもので溢れ、

個々の人の考えは様々に収拾つかない程混乱度を増している。

人類は豊かさを求め、自由を追求してきた結果が

津波で押し流されるが如く漂流するしかない。

 樋口正一郎 「漂流 - シェルター」2021

 樋口正一郎 「漂流 - シェルター」部分 2021

 

 樋口正一郎 「漂流 - シェルター」部分 2021

 

   未来はと言えば、地球上での資源の分捕り合戦で、

最後の一滴を「マドマックスⅡ」や「移動都市モータルエンジン」のように吸い尽したら、

月や火星を植民地にするという荒唐無稽な夢想に浸る。

 

   人類が漂流していれば、

どこか楽園が待っているという伝説のツケはCO2であったり、

日本で夢のエネルギー・原発の処理には人類が生き続けている間中、

払い続けなければならない。

 

   人類は今まではラッキーそのものであった。

何をやっても許され、地球という堅固で盤石、処理してくれるという幻想の人は、

バックミンスター・フラーが言うように共同運航便に同乗出来なくなる。

そしてもろく、華奢な地球を維持できるのは、人類しかない。

そして、人類も地球なしには生存できないことを今こそ肝に命じるべきだ。