第三回: バルセロナ/ビジュアルアーツによる都市づくりは可能か

レジメ

   1992年のバルセロナオリンピックの前に、

ビジュアルアーツによる都市全体の方向性や動きを網羅した本を出せるかという依頼が柏書房からあった。

当初は20世紀のビジュアルアーツの天才たちがなぜカタルーニャに集中して出現したのか。

建築のモンタネール、ガウディ、美術ではミロ、ピカソ、ダリと、

彼らの作品からは19世紀までの封建時代から解き放たれ、自由奔放な創造世界に生きる、

人間の尊厳を表現することが芸術の意味だと強烈なメッセージが伝わってきた。

 

  1992年1月「バルセロナの環境芸術/都市デザインとアートワーク」(柏書房)を出版後は

一層、国家の骨格、構造、要素、品格には何が必要かを考えるようになった。

バルセロナでは創造者にとって、分離独立問題はモチベーションの根幹にあると思われた。 

 世界で初めての歩行者天国ランブラス通り

 

1990年代のガウディ/サグラダファミリア

 

モンタネール設計のサンパウ病院。この敷地にはこの他20数個の建屋を

モンタネール父子で30年かけて建設したとのこと。財源は銀行家の遺産!!

 

スペインの北西、ピカソの「ゲルニカ」で有名な町・ゲルニカを訪れてみれば、

穏やかな丘陵地帯の農村風景。そこをフランコはナチスに依頼し、空爆させ、

2600人もの犠牲者を出した。

サンセバスチャンを中心とするバスク地方やバルセロナを中心とするカタルーニャ地方の

スペイン政府からの分離・独立運動は、今なお燻っているが、

フランコ政府の強権は封建時代への回帰と権力維持になりふり構わなかった。

 

バルセロナで、都市計画、建築、パブリックアート関連の本を買い、調べようとしたら、

スペイン語ではなく、カタルーニャ語辞典でなければ分からないもの多かった。

つまり、言葉だけでなく、民族の築いてきた文化を継承し、

発展させる使命をバスクもカタルーニャも担っているのだ。

サンセバスチャン出身の20世紀の偉大な彫刻家の一人チリーダの作品

重さが56Tもあり、安全上の問題で取り外されしまった作品

 

クレス オルデンバーグの「マッチ」。1992年バルセロナオリンピックの

自転車競技場近くにつくられた大きな作品(制作中)

 

 

かつてイサベラ女王はコロンブスを新大陸に送り出し、地中海からはイスラムなど様々な文化が融合し、

19世紀末から20世紀初頭、モデルニスモで一気に爆発した。

バルセロナの特異な動きはスペイン政府との軋轢、

万博やオリンピックなどの大イベントを飲み込みながら、

滞ることなく自由と人間の尊厳を表現する。21世紀になっても、

彫刻家ジャウメ・プレンサや早逝の建築家エンリック・ミラーレスなどの都市環境を開拓するスターを生み出している。

 

バルセロナの場合、何が独立を阻むのか。

世界一のビジュアルアーツ都市をスペイン政府は単純に主客逆転することが心配で手放せないだけだと思う。

イタリアのベネチアやフィレンツェのように中世で止まった「遺跡」のままとは全く異なり、

バルセロナは現在も未来に対し動きを続け、ビジュアルアーツによる都市づくりを着々と進めている。

バルセロナの生んだ早逝のエンリック・ミラーレスの市場

 

伊東豊雄のモンジュイックの西側にある地区のホテル「ポルタ フィラ」