自由を標榜する表現者にとって、人類の関わること全てに対し、
自身との距離と答を出さなければ自由は獲得できない。
映画「最初の人間」はフランスの植民地アルジェリアの
アルジェ生まれの主人公が10歳代の小学校に通う時代と1957年、
アルジェに住む母を訪ねる映像が交錯する。
アルジェはフランス系市民とアラブ系市民が別々の居住区に分かれ、
アルジェリア独立戦争(1954-62)に騒然とした中で映画は展開する。
1967年頃見た映画「アルジェの戦い(1956-57)」は熱く
血生臭く、凄まじかった。
日本の安保闘争のような生やさしいデモでは、痛みも血もなく(悲劇的な例外もあったが)、何も変えられないことが後年分かった。
カミュは社会派の作家として、矛盾する世界に対し、
「異邦人」のムルソーに「太陽が眩しかったから」と言わせる。
秩序とは無限に距離を取り、
真空の空気を吸う自由を見せるような常識世界から逸脱して見せた。
無秩序な人間集団が規則で個人の自由を縛ることによって、
国をつくり、世界を築き、今日に至った。
カミュは感性によって、規則や法律を形而上の表現で、
自由への抜け穴を示すことができた。
ミッテラン大統領時代(1981-95)、パリの人口を分散する
セルジ・ポントワーズやマルヌ・ラ・ヴァレといった新都市には足繁く通った。
マルヌ・ラ・ヴァレの壮大な古代神話を思わす建築群、
マルヌ・ラ・ヴァレ
セルジ・ポントワーズは日本にも都市軸、文化・歴史軸なる新しい概念とともに、
夢をもって語られた。
そのセルジ・ポントワーズの住宅コンプレックスの中心部に
彫刻家ダニ・カラバンの設計した広場の塔から発射されたレーザー光線が
川を越え、はるか遠方のラ・デファンスのグランアルシュに向かい、
そこからはナポレオン凱旋門そしてシャンゼリゼ通り、ルーブル美術館に繋がる。
セルジ・ポントワーズの住宅コンプレックス
ラ・デファンスのグランアルシュ
つまり、フランス文化の本流をセルジ・ポントワーズに繋げるという、
まさにグラン・プロジェの真骨頂を具体的に見せた。
しかし、セルジ・ポントワーズやマルヌ・ラ・ヴァレなど訪れたところは
パリとは別世界だった。フランス人はあまり見られなかった。
植民地からの移民・アルジェリアやベトナム系の人たちだった。
フランンス政府の神殿や文化の薫り高い環境であろうが、
収容所あるいはゲットー化し、住民の欲求不満が爆発し、
近年の暴動が頻発地域になったのは皮肉なことだ。
日本の植民地時代、いくら日本が親身になって同化政策を進めようが、
抑圧される側は自由のない押し付けは韓国問題の根本だろう。
台湾にとっては、日本は清国よりましといった程度で推移してきたのだろう。
そして、中国との関係が緊迫度を増している現在、
身近な逃げ場と仲間の確保は差し迫った条件に違いない。
そして植民地問題の本質でもある経済が
人類の自由の理念を破壊し続けてきたのである。
新手の仕組みやシステムに目を光らす必要がある。