今回の沖縄への旅で、能勢孝二郎の代表的なパブリックアートを

作家本人に案内してもらい、2つのアトリエも含め、ほぼ全貌を見ることができた

 

       能勢孝二郎のパブリックアートについては、

沖縄が日本でありながら、日本にはないスタンスの能勢孝二郎には、

沖縄の歴史的地勢的な条件、文化、土壌など様々な面から検証する必要がある。

 

 

         日本のパブリックアートではコンクリートブロックは台座でも使われず、

作品としてはあり得ない。それは野外展などの短期の展示であってもだ。

 

 

         日本では、パブリックアートは大雑把に言えば、

明治以後、偉人、権力者、軍人を後世まで顕彰することから始まった。

つまり、現代美術と言えども、恒久・永遠に残る素材だけでなく、作品の内容、質が条件となる。

 

 

        一般的な都市機能ではなく、特別で贅沢な金のかかる事業であるから、

あらゆる条件を満足させることより、

夢のある表現というよりは条件を満たす、アートと呼べないパブリックアートを蔓延させ、

今日の日本の状況になってしまったといえる。

 

 

        前置きが長くなってしまったが「南城市文化センター・シュガーホール」は

那覇市から車で30分ほど。

サトウキビ畑の中に円と三角形のモチーフで構成された真っ白な建築が現れる。

建築設計は現・建築アトリエTreppennの照屋寛公氏、1994年。

 

 

         芸術は古代ギリシャ、ローマから今日まで、貴族や時の権力者の教養とステイタスだった。

ここに能勢孝二郎は壁をブロックで飾っている。

元々音楽ホールは庶民の手の届かない上流階級の象徴であり、

近年、豪華さを競うことはなくなったが、

能勢孝二郎の使うブロックは一般的には塀の材料であり、

表舞台に登場させる高級な素材ではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

           それを敢えてというより、当たり前の素材としてとらえる

沖縄の役所、建築家、もちろん能勢孝二郎の意識の高さに驚くばかりだった。

シュガーホールのキーワードは楕円だそうだが、

地球や宇宙を融合するコンクリートブロックのゴシック造形は大シンフォニーを奏でる。

芸術の価値は素材の高低ではないことを見事に表現している