ロダンのように、粘土から石膏、それをブロンズに工房が鋳造する。

石彫家は自分あるいは石工が彫る。作業が単純であった。

 

 

        今日のパブリックアートは、作品が巨大化し、様々な表現による材料や加工、

それに、耐候性など、構造上の問題など、

ほとんど建築に近い要素をクリアしなければならない。

つまり、専門家集団、組織でなければ、都市のスケールに対応するのは難しい。

 

        振り返れば、ミケランジェロのような絵画、彫刻、建築となんでもこなす天才だけが可能だった。

 

       現在では、代表格はイギリスのトーマス・へザウィックだろう。

デザイナーとしてはもちろん、

写真はロンドンのキオスクぺーパースタンド by ヘザウィック

 

建築家としてはシンガポールの南洋理工大学の建築など。

 

彫刻家としてはニューヨークのベッセルなどなど。

世界の造形は彼を中心に回っている気がするほど、都市を多彩な表現で魅了している。

 

 

      社会の欲求、変化のスピードの流れの中では、

昔ながらの一途な表現者は出番がなくなり、

デザイナーとしての変わり身の早さが必要だろう。

 

 

       KAWSは自身の巨大フィギュアが目立っているが

実際はバービー人形やアケセサリー、グッズなどで世界に浸透を図っている。

 

 

   深せんの新しい美術館では、中央の吹き抜けホールに

建築家・ヒンメルブラウがステンレスのギラギラ光る巨大心臓と思しき形態の

オブジェで世界へ熱い血を送ろうとする。

 

 

   21世紀はジャンルという垣根はなくなり、表現者は自由になった。

そしてあらゆる分野で、アマゾンのように、世界は寡占状況を形成しつつある。

美術界でも、市民は好みを選ぶ自由が減少している。

 

   「樽に暮らす」ディオゲネスのような美術界はどんな可能性を見出すか。