一年目、東大で何にをやったかと言えば、何にもやらなかった。
時々、研究室で大谷先生にお会いしたときは15分か20分ほど話をして下さった。
一番記憶に残っているのは、
工学部8号館の7階の窓から本郷の街並みを見下ろしながら、
無秩序で混沌とした感じの日本の都市景観の話であった。
各々の建築家が懸命に、都市をつくろうと目指した結果が、
日本の街並みであり、矛盾そのものであり、どうすべきなのか。
当時、都市工学科が地方自治体からの
都市計画、再開発の依頼に対応しすぎ、
大学院などで個人的な研究が時間的に難しくなり、設計事務所化し、
大学闘争の原因の一つになっていた。
ある日、大きな丹下研究室で、丹下教授、大谷助教授を中心に
大学院生が10名ほど集まり、そも問題を話し合っていた。
私もオブザーバーとして参加した。
ミィーティンングが終わって、研究室の片隅で、
月尾嘉男さんと山田学さんが8mm映画の編集をやっていた。
月尾さんは後年、マスコミに引っ張りだこになった。
人間と都市の可能性を自分で実験や開拓するような自由な発想と
ダイナミズムは芸大には見られない多様な社会へのアプロ-チはさすが東大だと思った。
二年目は大学闘争も激しさを増し、大学も休講になり、
安田講堂のTVの実況中継を見ることが多くなった。