とか何とか書いておいて、高尚な論議をするつもりでは全くない(おい)

自民党の裏金問題がいまだにくすぶっていて予算審議や何やらに影響が出ていると言う状況で、自分としても何か言わなくてはと思ってるのだが、岸田文雄総理や現在の自公連立内閣と言うのは、思いのほか精彩を欠いてると言う印象だ…毎日新聞の支持率14%はさすがに極端としても、支持率が低迷したまま総裁選や衆院選に突入するとは思えないし、やっぱり今年の通常国会がヤマ場で、来月に本予算が成立してからは一気に「ポスト岸田」や解散総選挙への準備が加速して行くものと思われる…注目はやはり4.28に行われる衆院東京15区と島根1区の補選‼︎流動化をきわめる政局の中でも、与党がどれだけ底力を示せるか注目‼︎である。


岸田内閣にわりと期待した民としては現在の、と言うか2023年以降の自民党の内ゲバ・迷走ぶりは残念でならないのだが、現在の景気低迷や左翼ファシズム勢力の好調ぶりを見ていると、最悪社会不安になってないだけまだマシで、何だかんだで保守・中道勢力が総力を結集する形で持ち堪えているようには思えるものの…



で、話は冒頭の「保守とは何か」に戻る訳であるが。昔の朝日新聞が好んで使っていたようなフレーズなので、そう言う机上の空論的なネタは大っ嫌いなんだけどね。実家で朝日新聞を昔取っていたので分かるのだがwww、自分たちは護憲派だ‼︎憲法九条を守れ‼︎という御高説を並べたてた後で、加藤紘一や宮沢喜一など、自民党宏池会のお歴々の発言を取り上げ、護憲こそ保守なんだ‼︎憲法改正を主張する勢力は極右だ‼︎ファシストだ‼︎てな感じである種のプロパガンダが展開するというのがある種お約束みたいな物で、自民党宏池会と言えばある時期まで2ちゃんねらーやネット右翼(と呼ばれるような人々)の最大のヘイト対象なのであった。

麻生内閣あたりから徐々に構図が変わってきて今の「宏池会」岸田政権の状況、という訳だが、朝日新聞も共産党も自分は保守だ〜、などと虚言を吐かなくなった代わりに、著しく左傾化した挙句、ファシストの最後の砦みたいになってる〜〜〜💦朝日や共産党が以前ほど保守と言わなくなったのは自明の話で、以前ほど高学歴やエリート出身がいなくなったからだとか。ま、流石に護憲が保守、はあり得ないので、そう言うエセ知識人気取り芸wもいい加減飽きられたという面もあるだろうが。


最近のサヨクの論壇とやらを見てりゃ良く分かるが😓ひたすらアベガー統一ガーとか周回遅れの議論ばかり、政治的にはほとんど「市民連合」みたいな活動家的な人々に丸乗りで、全く有害無益な存在に成り果てているのは御存知の通り…


自分は保守だ、と言うよりは良識的で自由主義な人間だと思うようにして来たが、自分が良識的になればなるほど、エセ文化人や自称リベラル派連中との距離が広がって行くこの現象、いったい何といったら良いのだろうか…私なりに言えば保守は文明そのものだと思ってるのだが、日本のインテリ崩れや文化「系」の人々、あまりに文明的でなく野蛮な人間が多いのである…


保守というのはピラミッド型、階級や体面を重視するという意味である種「美しい」存在なのであるが、構造的に腐敗やタカリを生み出さざるを得ない構造になっているのは万国共通である。はっきり言って日本の自民党なんてカワイイ物である。イタリア、スペイン、南米のカトリック国家とかの方が腐敗は全然酷い。(かと言って英米や北欧等、どこかの国を持ち上げる意図はない、念の為)



今回の清和会を発端とした裏金騒動も、さすがにある一定期間を経て、沈静化に向かうのだろう。つーか群馬のエラい人周辺と言ったらアレだが、一部の扇動勢力さえ大人しくなってくれれば…(以下自粛)

トリガー条項協議が行われていた昨年10月16-今年の2月15日までは、歯痛や耳鳴りなど凄まじい体調不良に悩まされて、マジで生きるか死ぬかの瀬戸際を体験した。大袈裟だが人生で五本の指に入るほどの苦痛…😓


ある出来事をキッカケにようやく痛みは鎮静化し、人生の危機的状況を脱した訳だが、その出来事が何であるか、今はまだ書く事はできない…とにかく自分は今回も生き延びた、と言うだけである。


思えば、2003.9-2004.1、2010.3-2010.7、2017.9-2018.1と言うように、必ず四ヶ月単位で人生行き詰まった時期と言うのがあるんだよな…一番ヤバかったのは大学入学直後の2010年で、原因不明の頭痛やメンタル不調で、初っ端から単位を落としまくって死ぬほど絶望、と言うのがあった。後にも先にも周囲をほとんど敵に回し、四面楚歌、と言えるのはこん時くらいである。


民主党政権のファシズムの嵐、に見事に巻き込まれてしまった訳だが、今になってその最大の原因は2010.3.31にできたトリガー条項だったと知る。(鳩山のクソ野郎めが💢💢💢)高速道路の無料化、とかで小沢一派中心に騒いでいたアレである。今となってはトリガー発動も暫定税率廃止も、支持層である運送屋やヤクザまがいの人々を儲けさせる為のスキームでしか無い、って分かるんだけど、まだ社会経験の乏しい学生とかだとその辺の現実が分からず、タマキンさんやトラック関係の人達が垂れ流す詭弁に騙されてしまう人が出るのも、ある意味仕方ないのかもな…(twitterに良くいる玉木キッズ達を見よ)


で、話は戻るが大学時代の10.7.31に自動車教習所に入って免許を取る事で、ようやく最大のファシズムの嵐からは逃れる事ができ、ダメダメではあるが何とか今に至る訳だけどw細川知事選出馬も希望の党も何だかんだ言って潰したし、「敵」の思い通りには行かせないまま、ようやく陽の当たる場所に戻ってきたと言う感じ…

昔から名前の持つイメージかも知れないけど、運送屋の人達には良く嫌われる(笑)荷物を紛失、とかぶん投げられて傷が、とか良くあるので😭、ネット通販等ではなるべく本名じゃなく親兄弟の名前で登録してるという始末…(本当の葉梨である)


世にも奇妙な、であるが、これが嘘偽らざる自分の苦節十四年の物語と言う訳である😑


保守とかリベラルとかあやふやな神学論争をする前に、目の前の現実に対応する事が、真の文明人としての態度ではないだろうか。(←意外と上手くまとめたつもり)


自民党支持者でも維新信者でも草加でも立憲シンパでも何でもないが、これからの日本は、流石にこれ以上悪くなる事はないし、日本人としての力を信じている‼️以上である❗️


小澤征爾ネタをやると言ってしまったので、オマケではあるがちょっぴり取り上げてみる。晩年はいわゆるサヨクな人たちのオモチャになってしまったのは否めないが、やっぱり世界的な舞台で活躍した日本人という事で、偉大な存在であった事に変わりは無い‼︎水戸芸術館とやらに最近行ったんだけど、あそこは革新市長(社会党)の佐川一信の時にできた施設で、色々な経緯もあり市民には良く思われてない、と言うか無駄なハコモノの象徴と思われており、現に近隣にできた市民会館では全く小澤関連の内容を扱っていないなど、深刻な市民の分断状況が窺えたのだった(←大袈裟)要するにリリーとか京成百貨店とか、「あっち側」という事だわな。それはともかく一階には小澤征爾追悼コーナーがあり、流石に人で賑わっていたのだった👍


いつものようにヤフオクで、であるけど、小澤大先生指揮のCDを入手‼︎CD不況でオワコンと言われるが、やっぱりオリジナルがCDで出たものならそれで聴きたいし、最近では市場価値が暴落⁇して、配信よりかえって安上がりに聴ける事があるので、何だかんだでCDマンセー、なんである(笑)今回も600円前後であるが何と贅沢な体験😱😱😱


・アルテュールオネゲル:オラトリオ「火刑台上のジャンヌダルク」1989年録音


いや、メチャクチャマニアックな作曲家なんですけど〜〜〜💦オネゲル(1892-1955)は近代フランスで活躍したスイス生まれの作曲家で、印象派や新古典主義、といった作風で知られる作曲家である。(詳しくはwikipedia等参照)

小澤の代表盤といったらボストンとやったマーラー、とかに普通はなると思うのだが、マーラーの交響曲とか全く理解できないので😆😆😆クラヲタの皆さんゴメンナサイ😭ショスタコ等ロシア音楽に至っては、反吐が出る🤮と言ったら言い過ぎだろうか。

やっぱり自分にとってはマスネとかドビュッシーとか、パリ音楽院の流れを汲む音楽の方が安心感あって良い…何だかんだで現代のジャズや映画音楽の源流みたいな所あるしな。当のオネゲル(又はホネガー)自身も、映画音楽を何作も発表したモダニストである。


内容としてはカトリックの聖人を扱ったモノなので、堅苦しい内容と思いきや、わりと楽しく⁉︎聴く事ができる。1935年の作品という事で、いわゆる「現代音楽」的なビターなテイストはあるとは言え、サックスやオンド・マルトノ(電子楽器)が使われていたり、非常に色彩的でもあり、現代の日本人にも分かりやすいのでは、、、と思う。

もちろん悲劇的な作品なので最後は火あぶりシーンで終わるのだが、盛り上げ方が上手いというか、あっと言う間に一時間強が終わってしまうのだった。有名なジャンヌが神の声を聞いた、というシーンは一種のホラーみがあるというか、精神病患者の脳内で再生された声、みたいな不気味さがあって、ここだけでも一聴の価値ありである(笑

メロディーも分かりやすく、印象としては以前取り上げたマスネの作品等に近い。(時代はぜんぜん違うが…)


有名な録音らしいが、小澤征爾意外にスゲーな‼︎という印象である。ナタリー・シュトゥッツマン、ジョン・アラー、フランソワーズ・ポレといった錚々たる歌手陣を前に、メチャクチャ健闘している🥳政治家の小沢とか、スピードワゴン某のせいでイメージが悪化しているが、やはり「世界のオザワ」は格が違う🤩いまや東洋人音楽家も欧米では珍しくないとは言え、やはり彼の残した音楽はすばらしい。

その偉業はこれからも語り継がれるべきであろう。(たぶん)




ではまた。