★今回は、Hot Generation・神奈川校に通う、山本愛子さんのお母様、香さんのエッセイをお届け致します。
愛子ちゃんに出逢って数年間、愛子ちゃんはいつもふくれっ面で、とても不機嫌そうにレッスンに参加しているように見えました。
ところが公演を重ねる度に、少しづつ笑顔を見せてくれるようになり、今ではホットの〝笑顔センターポジション“ と呼ばれるまでに…😊。
このエッセイを読んで、自分の居場所を見つけた愛子ちゃんが、持っている力以上を振り絞って、必死にレッスンに参加していた事。
私達の何倍も、闘ってきたからこそ、皆を癒す笑顔が表現できる事がわかりました💕
【デスティニー・愛子とホット…運命の出逢い】
あれは愛子が、小4の春…。
ホットジェネレーション・ミュージカル『Power』で初舞台を飾った写真を見ながら、14年間愛子と共に歩んできたHot 人生こそが〝生きてきた証“と、振り返る…。
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刻まれた沢山の想い出と、貴重な体験、名曲の数々にどれだけの勇気と希望…そして愛をもらってきたのだろう。
愛子が生まれた時、医師よりきかされた「数時間後の命の保証はない。」と残酷な言葉…。
どうにか一命をとりとめたものの、2才2ヶ月までに心臓の手術を含め、全身麻酔の手術を3回行った。
自力でミルクを飲むこともできず、鼻からのチューブでミルクを注入していたものの、心臓の手術をするまでは注入しては吐き…注入しては吐き…の繰り返し。今、思い出しても一生分吐いたのでは、と思えるほどの辛い日々だった。
しかし持ち前の生命力で、遅ればせながら3才でようやく一歩を踏み出し、小学校入学時には学校の階段をなんとか自力で上がれるまでに成長。
小3になり学校生活にも慣れた頃、時を同じくして全く違う2つの方面からホットジェネレーションの存在を知った。
ホット主催のクリスマス会を見学をさせていただいた時、我が目を疑うような出来事が起きた。
舞台では、その日の為レッスンを積んできたメンバー達のパフォーマンスが繰り広げられていた。
その時、一瞬にして靴下を脱ぎ捨てた愛子は、舞台にかけ上がり、気づいた時にはメンバーに紛れ、見よう見まねで楽しそうに踊っているではありませんか。
〝デスティニー”…
これが、愛子とHotとの運命の出逢い❣️
以来14年…。
他では絶対に体験することのできない、究極のバリアフリーのレッスンと華やかな舞台。
どんなに厳しい練習にもめげることなく、ひたすら前進あるのみ。愛子の快進撃は止まらない!
いつしか無限の可能性は広がり続け、メキメキと体力と贅肉までも身につけた、怖いもの知らずの最強の娘へと仕上がり、最寄り駅から東京の合同レッスンに電車を2~3回乗り換え、一人で行くという偉業まで成し遂げたのだった。
社会人となった今、仕事とHot の両立に苦戦する事もある。しかし、最大の味方になってくださった職員さん達は、いつも愛子の応援に公演に駆けつけてくださる。
感想を尋ねると、舞台の迫力はさることながら、神谷たえさんの歌唱に度肝を抜かれ、歌って踊る愛子の笑顔を、心から誉めてくださる。
又、女性職員さんはVoice of Boyzのシンサク君のファン。
男性職員の奥様は、聖次朗君のファン…と、愛子だけでなく、ほかにも沢山の楽しみを見つけ公演の度リピーターになってくださっている。
職場の皆さんの応援が、さらに愛子の大きな力となり、感謝の気持ちでいっぱいになる。
我が家での家族の日常会話は、ホットジェネレーション・ミュージカル公演劇中曲を引用。
大好きなHotミュージカルNo.の数々を、家族の誰かが歌わない日はないほど、Hotが染み付いた生活を送っている。
因みに主人のテーマソングは、
♫さあ〜、立ちあがろうーーー!
私は、あの名曲『リング』を支えに、生きている(笑)
舞台で満面の笑みで歌って踊る、我が子の姿をみながら、二度と笑うことはない…と、悲嘆に暮れていたあの頃が走馬灯のように頭をかけ巡る。
娘も私もこんなに笑ってる!
どれほど、〝勇気“と〝元気“と〝愛“をもらいながらメンバーとの絆を構築してきたのだろうか。
🎵いつまでも変わらないでと言うけれど
それは変わり続けると言うこと
この歌詞も大好きだ。
どうか、1日も早く、世界中に笑顔の花が咲き誇る日が訪れますように。
♫ハッピー ハッピー リーフツリー🎶🍃
心を届けよう 世界中手を繋ごう
と、舞台で歌って踊るみんなの笑顔が、本当に待ち遠しい。
最後になりますが…
先生・スタッフの皆様、プロの俳優の皆様、Hot メンバー・保護者の皆様…。
💕有難うございます💕 愛子の母・山本香
初舞台、楽屋付近の階段で。
Hotの仲間、佐藤琴美ちゃんと一緒に💕
※エッセイは、不定期・随時掲載いたします。




