先日、スペシャルオリンピックスに参加していたときのこと。
かなり軽度の知的障害をもつ方と、お話をしていました。
私「私ね、カウンセリングのお仕事をしているの」
Aさん「カウンセリング? あ、知ってる!ピアカウンセリングだ!
話し合いをするやつでしょ?」
「話し合いかー・・・そんな感じかな?
お話を聴くお仕事よ^^」
「あ、スミマセン、、普通の方が受けるのはピアカウンセリングと違いますよね。
私たちのと普通の人のとでは、違いますよね。スミマセン。。」
私の言葉のニュアンスから、自分の知っているものとは少し違うな?
と思ったようで「スミマセン」と謝られた。
違ってなんかいないのに。。
この話の中で、私は「普通」という言葉に絶句してしまった。
本人は、障害を持っていることを理解していて、
それは「普通」ではないと教えられてきたのだろう。
自分は障害を持っていて、普通ではないと思っている
その心の内は、どんな気持ちなのだろう。
また「普通でない」と教えなければならない
周囲の人も、きっと傷ついたに違いない。
私は、姉の言葉を思い出した。
それは10年ほど昔の言葉だけれど、
私にとっては忘れられない言葉である。
「今度生まれてくる時も、ママの子に産んでね。
その時は、もっと頭良く産んでよねー
そうしたらねー、、、女子校に行きたい!!」
このときも私は絶句した。
私が簡単に手に入れてきたものが、
姉の来世での夢なのです。
今の人生を半分諦めて、次の人生での自分に思いを馳せる。
その望みは、
今の人生でかなえることのできるよな
とても素朴な夢なのです。
普通の人生。
普通の生活。
普通という言葉が、私には重くのしかかってくるように感じます。
ちなみに、今の姉の夢は
「働いて収入を得ること」
絶対に叶えさせてあげたいと思います^^
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