1988年の年末から、プレス機械を韓国に納入していた大沢プレスの 「大沢プレス事件」 | 互 助 会    

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「大沢プレス事件」


1988年の年末から、プレス機械を韓国に納入していた大沢プレスの

社長が、製品に「言いがかり」といえるクレームを付けられた上に、拉致

され、延べ一ヶ月以上にわたって、監禁された事件。

要するに、「ゴネ得」を狙ってクレームつけたが、拒否されたため、

火病って「人質」にとったってことな。驚くべきは、この社長は日本大使館の公用車に乗っているところを拉致 されたということ。

韓国では、国際的に認められている「大使館特権」が通用しない。

政府関係者に、こういった犯罪行為に一枚噛んでいる人間がいるようだ。

結局、この社長は相手側に5000万円。

大統領側近などの政府関係者に2000万円の、実質上の「身代金」を

はらうことでやっと釈放された。

 

「韓国スミダ電気事件」

やはり韓国に進出した日本企業スミダ電気は、韓国国内で上がった収益を
一切日本に回収せず、全て韓国国内で再投資するという、ほとんどボランティアといっていいほど良心的な経営を続けていたそうな。
ところが1987年ごろから、労働組合が結成される。 しかも、この労動組合には北朝鮮の支持者が偽名で入り込んでいたらしい。
労働者が扇動され、お決まりの賃金アップ要求、不真面目な就業が続く。
以下、韓国側が会社に要求されたことを列挙していくと、
就業時間中の労働運動と、この労働運動の時間中の時間給の要求。会社外の人間である労働組幹部への給与要求。2交代3交代制の拒否。トイレ、水のみ場で長い列を作っての並んでのサボり。
300人が会社・工場へ泊まりこみ。事務所への残飯ぶちまけ。
さらには、「日の丸の踏み絵」を作り、日本人代表理事の会社からの締め出し。
結局、賃金は2倍まで高騰。
しかし労働者側はそれですら満足せず、さらに運動を続け、「大沢プレス事件」を知っている経営者側の退社が相次ぐ。身の危険を感じた日本人代表理事は日本に帰国。
1989年10月、日本からFAXで、韓国人労働者の解雇を通知。
しかし、韓国労組側はそれを認めず工場を占拠。
日本に代表を送り、日本の労組、マスコミと連携して社長の自宅前での抗議運動などを行う。
最悪なのは日本のマスコミで、事件の経緯を十分に説明せず、韓国側の主張のみを取り上げ
「韓国人労働者を過酷な労働をさせながら、給与を支払わずに逃げ出した」という論調でこの事件を報道。結局、日本国内の批判も集中し、スミダ電気側がさらに韓国側に金を支払うことになった。どの程度の金が支払われたのかは不明なのだが、どうも要求額ほぼ満額を支払ったらしい。
以上が、「大沢プレス事件」「スミダ電気事件」のそれぞれの大まかな経緯である。
それにしても日本人関係者の怒りはいかばかりか。心中察するにあまりある。